『野咲屋』は火の国・木ノ葉隠れの里に本店を構える、老舗の忍具店である。いまや五大国だけでなくあらゆる小国にも支店を持っており、忍でその名を知らぬ者はいないだろう。
 その『野咲屋』は商店街から遠く離れたはずれにぽつんと建っている。年季の入った木造の建物はあまりにもみすぼらしく、とても最大手メーカーの本店には見えない。蝶番がいかれて閉まりきらなくなった扉に、古ぼけた看板がぷらぷらとぶら下がっている。

野咲屋 本店
かろうじて営業中

 店内は物々しい商品でいっぱいだった。商品棚には様々な形態の手裏剣やクナイが所狭しと並び、白く輝く刀が壁という壁を覆い尽くしている。
 ——チリンチリーン…。
 涼しげなドアベルの音を鳴らし、本日最初の客が店に現れた。濃紺のシャツとズボンの上に、防弾チョッキのように頑丈そうな緑色のベストを着た女性だ。額には木ノ葉マークの額当てを巻いている。
「すいませ〜ん、武器の鍛錬お願いしたいんですけど…」
「はいは~い、ただいま」
 店の奥から女性がひょっこり顔を覘かせた。片手には目玉焼きの乗ったフライパンが握られている。どうやら朝食の支度途中らしい。
「やばいやばい!遅刻する!!」
 バタバタと慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、女性を後ろから押しのけ、金髪にもも色の目をした女の子が元気よく飛び出してきた。丈の短い着物風の服、振袖から覘く手甲、ふとももに括り付けられた手裏剣ホルスター。彼女の長い髪は、窓から差し込む朝の光ではちみつ色にきらめいている。としの頃は十歳前後といったところか、愛嬌のある顔は、まだあどけなさが目立つ。
「あっ、お母さん!ごめん、今日はもう朝ご飯いらない!!」
「あらもう出かけるの?卵くらい食べて行きなさいよ、せっかく作ったんだから」
 母親はフライパンを掲げて残念そうに言った。
「ムリ!もう食べてる暇なんかないもん。急がないと遅刻しちゃうから!」
 女の子はレジ台に置いてあったポーチを袖の中にしまうと、金属プレートが縫い付けられたバンダナを首に巻いた。
「一体何事?今日は随分と慌ただしいのね」
「あ!いらっしゃい、ヨゾラ。ゆっくりしてって!」
 女の子は今初めて気づいたという顔をして来客に挨拶した。巻き付けた濃紺のバンダナには、女性客と同じ、くるんとうずまく木ノ葉マークが刻印されている。

「今日、下忍の合格者説明会なの!」
***
 野咲ゆすらは先日一人前の『分身の術』を披露し、忍者学校アカデミーの卒業試験をパスしたばかりの新米忍者だ。今日からは下忍として様々な任務を請け負っていくことになる。
 ゆすらがこの道に進んだのは、ごく自然な流れだった。実家が忍具店だし、両親がもともと忍だったこともあり、物心ついた頃にはもう忍者への道が目の前に敷かれていたのだ。両親はゆすらが下忍になったことをたいそう喜んだ。その日の夜、野咲家の食卓にはめったにお目にかかれない巨大なホールケーキが登場したほどだ。「合格祝い」と言って嬉しそうな顔でケーキを囲む両親を見て、ゆすらも頑張った甲斐があったと晴れやかな気持ちになった。

 アカデミーの第一講義室は、既にたくさんの下忍たちでいっぱいになっていた。みんなピカピカの額当てをくすぐったそうに巻いて、和気あいあいとおしゃべりしている。
(わぁ〜!なんかみんな忍者らしくなってる!)
 服装や髪型をちょっと変えて、額当てをつけるようになった、それだけの変化なのに、みんな急に凛々しくなったように見えた。自分も同じように見えているといいな…とゆすらは背筋を伸ばした。
「あ」
 ふと、ゆすらの目が教室の一点を捉えて止まった。
(サスケ君…!)
 鋭い目をした、黒髪の男の子。机に肘をつき、顎の下で両手を組んでいる。うちはサスケ——くノ一クラスで人気ナンバーワンだった男である。ゆすらも例に漏れず、彼のしびれるような目つきに夢中だった。ゆすらは胸に手を当てて深呼吸すると、サスケの席に向かって足を進めた。
 ……と、その手前で、元気な声に呼び止められた。
「ゆっすらちゃーん!おっはよーう!」
 サスケの席から一つ空けて、オレンジ色の男の子が座っていた。彼もアカデミーでの顔見知りだった。うずまきナルトだ。何度か宿題を見せてあげたことがある。ナルトは無邪気な顔いっぱいにいたずらっぽい笑みを浮かべて、ゆすらに手を振っていた。
「ナルト君!どうしてここに?」
 ゆすらはびっくりして手で口を覆った。記憶に間違いがなければ、ナルトは卒業試験に落ちたはずだ。
「その……」と、思わず言い淀む。「今日は合格者だけの説明会だよ…」
「お前さ、お前さ、この額当てが目に入ンねーのかよ」
 ナルトは自分のおでこを親指で指差した。そこには、新品の額当てがしっかり巻かれている。ゆすらは木ノ葉マークの入ったプレートをまじまじと凝視した。本物だ。
「ご、合格してたんだ…」
 そう呟いてから、ゆすらはハッとした。さっきの発言、とっても失礼にあたるような気がする。
「ごめんねっ。私、噂ではその——残念だったって聞いてたから…!」
「別にいいってことよ!」
 ナルトは気前よく笑い飛ばし、椅子の上で偉そうにふんぞり返った。
 話が一段落したところで、ゆすらはそろそろ座ろうと動き出した。何気なくナルトの向こう側の席に座れば、サスケの隣を確保できる。
 ——しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「ちょっと、そこの席通してくれる!」
 気の強そうな声に振り向くと、ピンク色の髪の女の子・春野サクラがゆすらの背後で仁王立ちしていた。
(サ…サクラちゃん!!)」
 ナルトの顔色が変わった。
「あ、おはようサクラちゃん」
「おはよう、ゆすらさん。そこ、いい?」
 サクラはゆすらに挨拶を返し、ナルトの隣の席を指差した。ナルトは途端に締まりのない顔をした。サクラが自分の隣に座りたがっていると思い込んだのだろう。
「ナルト、どけ!私はアンタのむこう側に座りたいのよ!」
「え?」
 しゃーんなろー!!とサクラにどやされ、ナルトは初めて同じ長机にサスケが座っていることに気がついた。はっと息を呑んで、サスケのすました横顔に向かって両手を構えた。
「なんだよ!」
 サスケがじろりとナルトを睨んだ。ナルトも負けじと睨み返す。
「てめーこそなんだよ!——」
「サスケくゥん♡ 隣り、いい!?」
 我慢できなくなったサクラがナルトを踏み越えて二人の間に割り込んだ。ゆすらは「あーっ…!」と声を上げたが、時既に遅し。サクラは見事サスケの隣をゲットし、さりげない風を装ってススス…と彼の方に身を寄せていった。他の女の子たちが嫉妬に燃えていることなどお構いなしだ。
(あぁ〜…いいなァサスケ君の隣…)
 ゆすらはがっくりと肩を落とし、仕方なく一番端の席に腰を下ろした。隣のサクラが羨ましい。
 ——ん…?
 おかしい。ナルトを挟んでいるはずなのに、どうしてサクラが隣にくるんだろう。不思議に思って顔を上げると、答えはすぐに明らかになった。ナルトは机の上にどっかりと乗り、鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離でサスケと睨み合っていた。
「てめェーナルト!サスケ君にガンたれてんじゃないわよ!!」
 なぜかサクラが真っ先に牙を剥いた。
「ちょ…ちょっと、みんな…!」
 ゆすらはおろおろと声をかけたが、誰も聞いちゃいない。サスケが「どけ!」と唸ったら、ナルトは「フン」と鼻であしらう。まさに一触即発の空気だ。二人だけじゃない。他の女の子たちまでもが、ナルトを鬼のような形相でぎらぎら睨みつけている。今にも手裏剣を投げつけそうな勢いだ。
「サスケ君。そんな奴やっちゃいな…」
「そーよ!そーよ!」
「ナ…ナルト君!」
 ゆすらは慌てて立ち上がった。
「みんなもそうやって焚き付けるのよそうよ…もうすぐイルカ先生が来——」
 ナルトとサスケを引き離そうと手を伸ばしかけた、その時だった。前の男子生徒が座り直した拍子に、彼の肘がナルトの不安定な背中をどんと突き飛ばしてしまった。ナルトはバランスを崩して盛大につんのめり——。
 ぶちゅっ。
 教室中が静まり返った。ナルトとサスケの唇が、完璧に重なってしまったのだ。
(キキキキキ…キス!!)
 さすがのサスケもいつもみたいに冷静にあしらう余裕がなく、猛烈な吐き真似をした。
「てめ…ナルト!殺すぞ!!」
「ぐぉおォオ、口が腐るゥウ〜!!!」
 ナルトはえづきすぎて苦しくなり、喉を押さえていた。が、不意に背後から襲ってきた刺すような気配を感じ取り、恐る恐る振り返った。
 そこには、不動明王がいた。
「事故…事故だってばよ!!」
 慌てて弁解するも、もう遅い。
「……ナルト…あんたね……」
 地の底から這いずり出てきたような、恐ろしく冷たい声でサクラが言った。パキポキと指の関節が唸る。

「うざい」
***
「今日から君達はめでたく一人前の忍者になったわけだが…」
 しゅうしゅうと煙を上げて伸びているナルトを尻目に時は過ぎ、イルカ先生による下忍説明会が始まった。ゆすらは濡れたハンカチでナルトの腫れ上がった顔を押さえてやりながら、「はぁ」と溜め息を洩らした。
「しかしまだまだ新米の下忍。本当に大変なのはこれからだ!」
(既に十分大変だと思うんだけど…)
「えー…、これからの君達には里から任務が与えられるわけだが、今後は3人1組スリーマンセルの班を作り……各班ごとに一人ずつ上忍の先生が付き、その先生の指導のもと任務をこなしていくことになる」
 3人1組スリーマンセル…?なら、絶対、サスケ君と組みたい!ゆすらはサクラ越しにこっそりとサスケの横顔を盗み見た。同じ班になったら、ずーっとサスケと一緒にいられる。それに、あのサスケの“チームメンバー”になれるだなんて、なんて誇らしいことだろう。
 ところが、そんな淡い期待を裏切るように、イルカが名簿を掲げた。
「班は力のバランスが均等になるようこっちで決めた」
えー!!
 サスケ以外のみんなが絶叫した。
 イルカは名簿に目を落とすと、1班から順にすらすらと名前を読み上げていった。みんな絶望に呻いたり、喜びに手を合わせて笑ったり、反応はさまざまだ。まだ名前を呼ばれていないくノ一達は、サスケと一緒になりたいがために、グッと身を乗り出して目を血走らせている。
「じゃ、次。7班——春野サクラ…うずまきナルト!」
 サクラが項垂れ、ナルトが「ヤッター!!」と拳を突き上げた。
「それと…うちはサスケ」
 今度はナルトが崩れ落ち、サクラが「しゃーんなろー!!」と飛び上がった。
(あーあ…サスケ君取られちゃった…)
 ゆすらはふてくされた顔で机に突っ伏した。
「次、8班。犬塚キバ、日向ヒナタ…油女シノ」
 講義室の後ろの方から、「てめーらオレの足ひっぱんじゃねーぞ!」と元気な牽制が聞こえた。
「9班——火柱シャク、矢野カズヒ……と、野咲ゆすら!」
 うわぁぁぁ誰だぁぁぁ!——ゆすらは頭を抱えてそう叫びたくなった。
 最後に奈良シカマル、秋道チョウジ、山中いのが10班に振り分けられると、イルカは「以上だ」と締めくくって名簿を下ろした。すると、班決めに納得のいかなかったナルトが勢いよく立ち上がってサスケを指差した。
「イルカ先生!!よりによって優秀なこのオレが!何でコイツと同じ班なんだってばよ!!」
 イルカはそれを聞くと、厳しい顔をした。
「……サスケは卒業生30名中一番の成績で卒業。ナルト…お前はドベ!いいか!班の力を均等にするとしぜーんとこうなんだよ」
「フン…せいぜいオレの足引っぱってくれるなよ。ドベ!」
 サスケが放った一言が、ナルトに追い討ちをかけた。
「何だとォコラァ!!!
「いいかげんにしなさいよ、ナルト!!
 逆ギレしたナルトにサクラが突っかかっていき、ゆすらの隣はまたぎゃいぎゃいと騒がしくなった。ゆすらはサスケと離れ離れになってしまった自分の運の悪さを恨みながらも、この人達と一緒にならずにすんだのはよかったかもしれない、とひそかに思った。
「じゃ、みんな。午後から上忍の先生達を紹介するから、それまで解散!」