——あかん…寝不足や…。

 昨日、ほとんど一晩中アカデミーの教科書や参考書を読み漁っていたゆすらは、翌朝目の下に露骨な隈をこしらえての参戦となった。
「お。揃ったかな?」
 ゆすらが演習場に到着すると、ほぼ同時に灼とカズヒが現れた。先に待っていたイツキは書類の束をめくっていた手を休め、「おはよーさん」とにこやかに手を振った。
「………」
「………」
「おっ、おはよう先生…!」
 朝の挨拶すら億劫そうな二人に代わって、ゆすらは慌てて返した。
 イツキはゆすらだけにもう一度ほほ笑みかけ、「おはよーさん」と頭をポンポン撫でてくれた。ゆすらは照れくさくなって身をよじった。
「お前ら低血圧かー?しゃきっとしろ、しゃきっと」
 イツキの目が男の子達に向けられる。
「アカデミーからもらったお前らの成績表見てたけど、まー見事にバラッバラなのが揃ったね」
 どうやらさっき呼んでいたのは成績表のコピーらしい。イツキは3枚の資料をぺらっとめくり、切り株に座り込んで盛大な欠伸をしている灼を指差した。
「火柱 灼——体術のクラスで成績は上から2番目…。あートップはうちはサスケかァ。で、忍術は中の下、忍具は見込みなし……と。それから、矢野カズヒ、」今度はフェンスに寄りかかって本を読んでいるカズヒを指差した。「体術はからきしダメだが、忍術の成績はトップクラス。忍具はそこそこ、遠距離系の武器の方が好きみたいだな。お前、案外オレと相性いいかもね」
 なんと、この私を差し置いて!
 愕然とカズヒを見つめるゆすらを、イツキは最後に指差した。
「んで、野咲ゆすらちゃん。忍術は下の下、体術は中の上ってとこか。やっぱり忍具が得意みたいだねぇ…学年トップだ。オレより上手いんじゃない?——ていうかお前ら意外といい組み合わせかもな」
「「ない!」」
 灼とカズヒが即答した。ゆすらは苦笑するしかない。
「なんだよ。聞いてみれば落ちこぼればっかじゃねーか。オレはサスケとかシノみたいな奴と組みたかったのによ」
 灼がぶつくさ言いながらカズヒとゆすらを交互に指差した。
(お…落ちこぼれ…)
 少なからずへこんだゆすらの後ろで、乱暴に本を閉じる音が聞こえた。
「それはこちらのセリフだ。君達みたいなガサツな連中と同じチームだなんて…同類と思われたら困る」
えー!! ガサツ!!?
 初めて言われた。ショックで声もでない。
「あーはいはい分かったよ訂正するよ。悪かったね…」
 頬を人差し指で掻きながら謝るイツキからは、あまり誠意が伝わってこなかった。
「じゃーこれ以上ケンカされても面倒だし、そろそろ演習の内容説明に入るよ」
 いいかな?とイツキが微笑む。3人はしっかり気持ちを入れ替え、しゃきっと姿勢を正すことで準備万全を示した。
「君達にはこれから、これを護衛してもらう」
 そう言ってイツキが取り出したのは、鼻面が曲がったボロボロのテディベアだった。身構えていた3人は肩すかしを喰らい、思わずずっこけた。
「く…くま?」
 ゆすらが素っ頓狂な声を上げると、イツキは「いかにも」と無駄に真面目くさった口調で頷いた。
「これは、オレが小さい時に大事にしていた『ミート君』だ。その名の通りお肉が大好き。嫌いなものはたまねぎだ」
知らねーよ
 今度ばかりは灼が正しい。
「お前らにはこのミート君を傷一つ負わせず守り抜いてもらう。傷つけたり汚したりするなよ。もし演習が終了した時点で今と姿が少しでも違っていたら、お前ら全員アカデミーに送り返すからな。ホントだぞ」
「………」
 唯一まともだと思っていた先生が一番おかしかった。ゆすらは気が遠くなるのを感じた。
「……ま、いいけど…」すっかり調子を崩され、灼は気の抜けた顔で髪をガシガシ掻いた。「護衛ってことは敵がいるってことだろ?お前が敵役になるってことか?」
「いーい質問だ」
 イツキは人差し指をぴんと立ててにっこりした。にっこりとはいっても、さっきまでの人のいい笑みではなく、胡散臭いやつだ。なんだか嫌な予感がする。
 そして、ゆすらの予感は的中した。
「 影分身の術! 」
 ボン!と煙が起こり、3人の目の前でイツキが一気に9人増えた。驚いて目を白黒させていると、9人のイツキは同時に印を結び、3人ずつ別々の姿に変化した。
「 変化の術! 」
 ボフンと沸いた煙が晴れた頃、ゆすら、灼、カズヒは息を呑んでいた。
 ゆすらが3人増えている。ゆすらだけじゃない、灼とカズヒも3人ずつ余計に増えて、ニヤニヤと意地の悪い笑みを携えている。
「こいつらはただの分身じゃない。ちょっとした高等忍術でな——全員実体を持っている」
 イツキが右隣の分身ゆすらに手をかざすと、彼女はその手の平に拳を突き合わせた。ぱしっと軽い音がする。
「しかも、こいつらは上忍であるオレの影分身だから。下忍レベルの忍術なら余裕で使いこなしてくる。さっきお前らの基本データを全て頭に叩き込んでおいたから、お前らとほぼ同じ動きをするよ」
 そうか、それでアカデミーの成績表をあんなに熱心に読んでいたのか。本物のゆすらは口元を引きつらせた。
「ま、ままままま…まさか——」
「そのまさか!お前らには、お前らからミート君を守り抜いてもらう」
 3人がごくりと固唾を呑んだ。イツキからホイとパスされたミート君をゆすらがキャッチする。つぶらな目と曲がった鼻面のコーディネーションが最高に腹立たしい。緊張でガチガチに固まっているゆすら達3人を見下して嘲笑っているようにしか見えない。
「じゃ、15分後に試験スタートだ。今からどこかに隠れてもいい。作戦立てるなら今のうちだぞ」
 灼とカズヒが顔を見合わせた。一足遅れてゆすらも顔を上げる。イツキが腕時計に目をやったその瞬間、3人は一気に地面を蹴ってその場から姿をくらました。
***
「おいクソメガネ。てめぇまさか既にイツキの野郎と入れ替わってたりしねーだろうな?」
「まさか。そう言うお前こそどうなんだ?…ま、その頭の悪そうな物言いからして本人だろうけど」
「んだと?」
「あぁ、聞き取れなかったのか。もう一度言った方がいいか?」
「てめーナメた口利いてっと食いちぎるぞコラ」
「まったく……これだから脳筋は…」

 ゆすらは目眩がした。せっかくイツキが与えてくれた作戦会議の時間を、この無駄な言い争いで既に3分もロスしてしまっている。一体何度この口から「うぜー黙れ」が飛び出しかけたことか。ゆすらはミート君と顔を見合わせて、「はぁ」と溜め息をついた。
「おい、ゆすら!てめー何溜め息なんかついてんだよ」
 耳聡く聞きつけた灼が、ゆすらに鋭い睨みをきかせてきた。
「勝手に諦めないでくれるかな」と、今度はカズヒだ。「君がしくじるとオレまで道連れになるんだ」
「ただでさえ女で足引っぱってんだから、邪魔にならねーように努力くらいしろよ!」
 うっわァー…何だこれー…。性差別ー…。
 ゆすらは金魚のように口をぱくぱくさせた。
「とにかく、ゆすらにミート君を持たせていては危険だ。オレが持つ」
 カズヒは背中に背負っていた武器を下ろしながら言った。弓——そういえば、さっきイツキが「遠距離系の武器」と言っていた。
「オレなら敵にふところまで近づけさせない自信がある。灼は近接タイプ、しかも好戦的な性格から考えてミート君を危険に晒す可能性がある。オレが隠し持っておくのが一番安全だ」
「わ、私思ったんだけど——」ゆすらが言いかけた。
「オレはこの先の林の中に身を隠し、トラップを張り巡らせて分身の侵入を防ぐ」
「んじゃー、オレはその周りで近づく分身片っ端から潰す」
 お世辞にも『作戦』とは言えない内容を灼が提案した。ゆすらは目眩を和らげるように、こめかみを二本指でトントン突ついた。
「あの、私思っ——」
「あ、そーだ」今度は灼がゆすらを遮った。「万が一の時のためにオレ達だけの合言葉を決めておこうぜ。んで、お互い顔を見たらまず最初に合言葉を言うんだ。そうすれば相手が本物かニセモノか即座に見破れんだろ!」
「いや、ダメだ。テストが始まったらお互い接触しないよう心がけた方がいい」
 カズヒが首を振る。ゆすらはここぞとばかりにもう一度トライした。
「あー!そうだ、私いいこと思いつ——」
「なんでだよ!不便じゃねーか」
 灼が口を尖らせた。ゆすらも尖らせた。「ああそうですか。どうぞ続けて」
「決まった合図は一度しか使えない。相手は9人いるが、もとを辿れば全部同一人物だ。恐らくオレ達が最初に合図を使った時点で、奴らはそれを学習し、次の機会に使ってくる。余計混乱を招くだけだ、やめておいた方がいい」
「なるほどな…お前やっぱ頭いいな。見直したぜ」
 灼がヒューと口笛を吹いた。カズヒはちょっぴり誇らしげにふふんと笑った。
「…そうでもないと思うけど」
 ゆすらがぼやくと、2人が物凄い勢いで振り返った。
「んだよ、ずっと黙ってると思ったら…」
「オレよりいい作戦でもあるっていうのか?」
えぇー…!
 さっきまで何を言ったって聞こえていなかったのに、どうしてこういう厄介なタイミングで気づくんだ。ゆすらは溜め息を呑み込んで話し始めた。
「いや…絶対接触しないなんてムリだと思って……」
「どういう意味だ?」
 カズヒの片眉がぴんと吊り上がった。
「イツキ先生がわざわざ私達に化けたのは、パニックさせるためでしょ?そしたら、本物の私達が顔を合わせなきゃいけなくなるような場面を作ってくると思う……そういう時、やっぱりお互いを見分けられるようにしておかないと危険なんじゃないかな…?」
 反論はなかった。カズヒは痛いところを突かれて不愉快そうに顔をしかめている。
「だったらどーすんだ?合言葉は使えねーんだぞ」
 灼が唸った。顔が恐くて、思わず尻込みする。
「いや…!ホラ、幸いにもあと10分あるし、余った時間で“アレ”しない?」
 意味深な物言いに、灼とカズヒは顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
***
 ——ピピッ。

 イツキの腕時計が微かな音を鳴らした。その両脇で、9人の分身達がのそりと腰を上げた。彼らは3人ずつ違う瞳の色をしていたが、全員似たような危険な光を帯びていた。
「時間だな」
 イツキがスッと目を細めた。
「行け」
 その一言を合図に、分身は散り散りになった。

 サバイバル演習、開始……!!