数分後、3人の下忍は遥か遠くに木の葉が揺れる音を聞く。

「うぅ〜…お腹痛くなってきた…!」
 ゆすらは青ざめた顔で小さく身震いした。

「………」
 無言で印を結ぶカズヒ。

「……いいぜ…どっからでもかかってこい——」
 灼は鋭い目でチキ…とクナイを構えた。

返り討ちにしてやる!
 気合いの入った雄叫びがゆすらとカズヒの耳をキーンと貫いた。まったく、灼の血の気の多さには恐れ入る。3人共それぞれ1キロ以上離れているというのに、耳元で叫んでいるのかと錯覚してしまうほどはっきりと聞こえてきた。
(『忍』の文字の意味知らなそうだな…あの人…)
 ゆすらはじっとりと溜め息を洩らした。
(とにかく……)
 ぶんぶんと激しく首を振り、頭の中から雑念を振り払う。
(ミート君はカズヒが守り抜いてくれると信じて、こっちは戦いに専念しなきゃ!)
 ゆすらは気持ちを入れ替え、きりっと表情を作った。長い袖の中で、冷たく硬い暗器を握り締める……。

 —— ザッ。

「「「 !!! 」」」

 灼が、カズヒが、ゆすらが身構えた。
 忍び寄る微かな人の気配——それを察知した時、前方の草木が揺れた。

「……おでましか…!」
 灼は、目の前に現れた自分を見てバキッと指を鳴らした。
***
 —— ヒュンッ…!!

 空を切る音。
 何の手加減もなく飛ばされた手裏剣を、灼はひらりと身を翻すことで難なくかわして見せた。影分身はすぐ次の手裏剣に手を伸ばしたが、それよりも早く、灼が地面を蹴って飛びかかっていた。
「!速い…!!
 灼の姿をした影分身が、少し驚いたように目を見開いた。灼の口角がニッと吊り上がった。
「だろ!!
 灼の裏拳がばっちり決まり、影分身は勢いよく吹っ飛んだ。低木をなぎ倒して転がった影分身はしかし、即座に体勢を整え反撃に出た。空中で体をひねり、鋭い回し蹴りをくりだす。灼は左腕を掲げてブロックすると、その手ですねを引っ掴み、力任せにブンと振り回して真後ろの木に叩き付けた。
「……ぐっ…!!」影分身が呻いた。
「おぉ、いてーか!もっと痛くしてやるぜ!」
 まるで悪役みたいなセリフを抜かし、灼はがら空きの腹部に肘鉄砲を食らわせた。
「かはっ…」
 咳き込む影分身。灼は一切の情け容赦も見せず、大きく腕を振るって、影分身の横面をぶん殴った。
「どうした?やられてばっかじゃねーか」
 影分身は殴られた勢いで倒れ込みそうになったが、灼はそれを許さない。胸倉を掴んでぐいと引き寄せ、ガンと頭突きを食らわせた。
「つまんねーだろうが。もっと楽しませてくれよ」
「くっ…!」
 ニヤリと口角をつり上げた灼の前髪を、影分身がむんずと掴んだ。
「おい!髪はナシだ!崩れんだろ——」
 灼は慌てて影分身の腕を掴み返した。
「問答無用」
 影分身の靴がドスッと灼の腹に食い込んだ。灼の手が緩む。影分身は灼の前髪を引き、自分の背後の木の幹に顔から突っ込ませた。
「ぶふっ——」
 あまりの衝撃に灼の動きは一時停止。影分身はその隙に背後へと回り込み、ホルスターに指を伸ばす。そしてバックステップで距離を取りながら、流れるような動作でクナイを放った。
「くそっ……」
 灼は手の甲で鼻血を拭いながら振り返り、上半身を軽く傾けるだけという最小限の動きで刃物を全てかわした。クナイは鋭い音を立てて木の幹に突き刺さった。
「殺す気か!」灼が怒鳴る。
「てめーもその気で来い!」影分身が笑った。
 強く地面を蹴って飛び出し、空中で取っ組み合う二人の少年。灼の鋭い袈裟蹴り、それを右腕でブロックした影分身が同じ腕で殴り掛かる——灼は上体を反らせてよけ、その勢いに乗せて軽々と宙返りし、振り上がる脚で影分身の顎を蹴り上げた。
 のけぞった影分身。しかしまだ倒れない。体勢を持ち直すと今度は上段回し蹴りで攻めて来る。灼は両腕をクロスしてブロックしたが、影分身は続けて下段回し蹴りをかました。一発目は二発目を決めるためのフェイクだった。これは見事に入った。灼は「うっ」と呻き声を漏らして後退した。だが、影分身に情け容赦はなかった。すぐさま間を詰め、顎を右の掌底で突き上げ、横面には左の拳を一発、ターンしながら裏拳を一発…と、立て続けにお見舞いした。
「…こ……っ…の——」
 灼はブロックも回避もできず、全てをまともに食らってフラフラの状態だった。「とどめだ」とばかりに両手を組んで振り上げた影分身——その両肩をガシッと掴み、思いっきり頭突きをかました。
「——!!!
 影分身の両目から火花が散った。
「どーだ、このオレの石頭はよ!」
 灼は得意げにふんぞり返って、親指で自分の額を指差した。
「体のスペックまではコピーできなかったみてーだな……」
「………」
 額を赤く腫らした影分身がクナイを構えた。灼は垂れかけた鼻血をすすり、ニッと不敵に笑ってみせた。
「いくぜ、モヤシ先生!ガキだと思って手抜いてんじゃねーぞ。うっかり殺しちまうからよ…!」
***
 カズヒはミート君をきつく抱き締め、自分の姿をした影分身を睥睨した。さすが上忍の分身だけあって、本当に自分とそっくりだ。髪の毛の質から服のほつれたところまで驚くほど正確に写し取られていたが、どこか暗い目をしているように見えた。
「オレはもう少し知性のある顔してるんだがな…」
「そうか?案外こんなものだぞ」
 影分身が腕を組む。カズヒはぴくりと右の眉をつり上げた。
「まずは小手調べってところか……シンプルなタイマンでそれぞれの言動や動作のクセを分析し……、残り2体の分身をより本物に近づける…!」
「………」
 それは肯定を意味する無言。カズヒはフッと口元を緩ませたが、依然きつい目つきで相手を威嚇しながら、腰の忍具ポーチに手を伸ばした。
「——だが、オレの攻撃はそうやすやすとマネできんぞ…!」
 片手でポーチのボタンを外し、素早く巻物を引っぱり出す。そして器用に巻物を広げると、ミート君を小脇に抱えたまま、右手の親指を噛んで紙面に血を塗りつけ、「パン!」と両手を強く打ち鳴らした。
「 口寄せの術!! 」
 —— ボン!!
 カズヒの前で煙が爆発した。影分身は腕を掲げて爆風から頭を庇った。
 やがて、煙が微風に流されて晴れていく。その向こうから姿を現した“あるもの”を見て、影分身は大きくその目を見開いた。
「 大斂藻おおれんそう!!! 」
 身の毛がよだつような、禍々しい姿。それはまるでヘドロのような、巨大なミミズ型の塊だった。手も足も目もないが、塊の先端には、鋭い牙を生やした口がついている。そいつはだらしなく涎を垂らしながら上半身をうねらせ、影分身の気配に気づくと、その方向に顔を向けてピタリと止まった。
「大斂藻、エサだ」
 ヘドロの背後で、カズヒが冷たく言い放った。弓に矢をつがえて、影分身の顔に狙いを定めながら。
「食っていいぞ」
***
 袖から突き出す何本もの刃物、ワイヤー、起爆札——…。カズヒからきっかり1キロ離れた地点で、ゆすらはとても厳しい顔をして、じっと目の前を睨みつけていた。

「なぜ!」
 思ったより低く野太い声が出た。
「…なぜ誰も来ない!」

 憮然とするゆすらの前には、うっかり空気を読まず迷い込んでしまった子ウサギが草をかじっているだけで、影分身の「か」の字もない。
「……寒っ…」
 ゆすらは両腕を抱え込んで、むなしく呟いた。