時代にただ一人 選ばれし少女
闇の世界と戦う力を備えた少女

それが

バンパイア・スレイヤー







 虫の声だけが虚しく響く、静かな夜だった。
 イギリスのとある田舎町サニーデール。その奥にひっそりと息づく暗い森の向こうには、壮大な城がそびえ立っている。大小さまざまな塔を従え悠然と佇む姿は、厳かなだけでなく神妙な印象を与える。しかし、その風景はどこか気味が悪かった。連日の悪天候で星の輝きはない。深緑の芝生は水気を帯び、じめじめした嫌な空気を手伝っている。
 城の中も同様に不気味だった。長い石畳はひたすらに冷たい沈黙を運ぶ。まるで廃墟のような静けさだ。廊下を区切る扉は全て閉ざされており、灯りという灯りは何一つ点されていない。天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアは、暗闇にうまく溶け込んで、その存在すら曖昧なものとしていた。

 一階、長々と続く廊下の突き当たり。開け放たれたままの扉がすきま風に揺れていた。扉の向こうには一枚の黒板。そして長机と椅子がズラリと並んでいる。講義で使われる教室だ。室内は最後の授業を終えたときのままの姿で、長机はきっちり整列し固定されているが、椅子の位置はバラバラだ。
 ここまでなら一見何てことはない教室だといえるが、ここにはある決定的な異変があった。
 窓際の棚に、普通ならばあってはならないものが並べられているのである。人間の脊柱や、薬漬けの目玉、鳥の脚…オカルトな用事でしかお目にかからないであろう奇妙な品々が、当たり前のように鎮座している。ひと際目を引くのは、大きくひびの入った頭蓋骨だ。脳天から顎を支柱に貫かれ、その痛みを訴えかけるように、口が半開きになっている——。
 ガシャァアン!
 突如、頭蓋骨の背後の窓がけたたましく砕け散った。
 ガラスの破片と一緒に現れたのは、レザー製の袖に包まれた黒い腕。窓の外には、一組のカップルがいた。ブロンドのよく似合う華やかな顔立ちの女の子と、背の高いブルネットの青年だ。男は窓に空いた穴から腕を深く突っ込み、内側の鍵を外した。解錠された窓は、押し上げれば簡単に開くことができる。男は得意げにニヤッとした。
「こんなことして大丈夫なの?」
 ブロンドの女が不安げに囁いた。
「大丈夫さ」男はこともなげに言う。「ホラ、来いよ」
 彼は窓枠に両手をついて飛び上がり、何の躊躇もなく教室の中に押し入った。

 教室から廊下に出ても、不気味さは依然として続いていた。その上通路があまりに暗いので、目を開いているのか閉じているのかさえ分からなくなった。足元もおぼつかなく、所々に差し込む月の光だけが頼りだ。そんな中、男は自宅を闊歩するようにスイスイと先へ進んでいく。
「あなたここの生徒?」女が聞いた。
「昔はね。この塔の屋上が最高なんだ!町中が見渡せる」
 自慢げに肩をそびやかすボーイフレンドに、女は曖昧に笑い返した。
「あ、あたしやっぱり…行きたくないわ…」
 後ろから袖を掴んで引き止めた。男はぴたりと足を止め、つまらなそうに振り返った。
「何だ。怖いってか?」
「見つかったらまずいもの」困ったように弱々しく笑う女。
「後悔はさせない」
 男の口元が妖しい笑みを浮かべた。向かい合った二人の顔は、吸い寄せられるように距離を詰めた……。
「あっ!」
 なかなかのムードが漂いだしたところで、突然女が短い悲鳴を上げて飛び上がった。「今の何!?」
「『今の』って?」
 女が怯えた様子で来た道を振り返る。男は怪訝そうに眉根を寄せ、彼女の視線を追いかけた。そこにはただ長々と廊下が敷かれているだけで、特に異変は見られない。
「音がしたわ…」
「なんでもないよ」
 慄然とする女に対し、男の態度はあまりに白々しい。
「でも何かいるかもよ…」
「たとえば、オバケとか!」
 両手を広げて襲いかかるふりをすると、女は怒ったように胸を押し返した。「もう、ふざけないで」
 男は悪びれた様子もなく、ちょっぴりおどけた顔をしてみせた。そして、廊下の角から首を突き出し、誰もいない真っ暗闇に向かって声をかけた。
「ハローーーー?」
 返事はなかった。間抜けな声が幽かに反響するだけだ。男は肩をすくめてガールフレンドを振り返った。
「誰もいないよ」
「…ホントに?」
 しかし彼女はいまいち心配そうだ。男の方になど目もくれず、廊下の向こうを凝視している。
「あぁ、ホントだよ」
 男はゆっくり女の背後に回り込んだ。その目線は滑らかな金髪の間に見え隠れする、白い首筋に釘付けだった。

「なら——」

 女が唸り声を上げて振り向いた。獰猛な獣の吠え立てるような声だった。そして彼女の顔を目にした瞬間、男は恐怖のあまり凍りついたように動けなくなった。
 青白い肌は醜く歪み、高く隆起した眉宇には深いしわが刻まれている。目は猫のように真っ黄色で、赤い唇の裏からは長く鋭い牙がギラついている——男は咄嗟に逃げようと後退りしたが、手遅れだった。『女』は男に勢いよく飛び付き、襟をはがして首筋を露わにすると、尖った牙で何のためらいもなくそこに噛みついた。
うわああぁぁぁ!!!

 同じ時、ハリー・ポッターは額に焼けるような痛みを感じて跳ね起きた。熱っぽく息を弾ませながら。




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加筆修正 2010年10月16日
ホントは理科室かなんかです。