ホグワーツ特急がカーブに差し掛かり、車両が大きく揺れた。レノーラは戸口の前に立ったまま、気まずい沈黙の走るコンパートメントの中を見渡した。三人のうち、二人は全く知らない顔ぶれだった。どちらもガッチリしていて、ゴリラの子だと紹介されても信じられそうだった。お菓子をむさぼるのに夢中で、レノーラが入ってきたことにも気づいていない様子だ。レノーラは不安になり、一度通路を振り返ったが、既にセドリックの姿は見当たらなくなっていた。
「そんなところに突っ立ってないで、座ったらどうだ?」
 マルフォイが自分の隣をポンポンと叩いた。レノーラはあまりが気乗りしなかったが、このまま終点までずっと立っているわけにもいかないので、おずおずとマルフォイの勧めに応じた。
「さっきのやつ、一体何だったんだ?」
 マルフォイの視線はレノーラを通り越し、ドアの外を胡散臭そうに睨みつけていた。
「えっと、上級生だよ。ハッフルパフの。とっても親切にしてくれたの」
「へぇ」
 自分から聞いたくせに、マルフォイの返事はほとんど興味がなさそうだった。
「おい、お前達——」
 マルフォイが声をかけると、向かいの席に座ってお菓子をバカ食いしていた二人組がのそりと顔を上げた。二人とも、顔中に何がなんだか分からないほどぐちゃぐちゃになった食べかすをくっつけていた。
「彼女はレノーラ。ハーグリーヴス家のご令嬢だ」
 二人が『ハーグリーヴス家』だの『ご令嬢』だのという言葉を理解できたかどうかは怪しかった。しかし、マルフォイが続けて「マルフォイ家と古くから親交がある」と言うと、ようやく無礼に気がついたようだった。お菓子で頬を膨らましたまま、緊張した面持ちで会釈した。
「レノーラ、こいつはクラッブ。で、こっちがゴイルだ」
 マルフォイは一人ずつ指差して紹介してくれたが、レノーラにはどっちがどっちだか見分けがつかなかった。
「夏休みはどうだった?どこか行ったかい?」
「うーん…どこにも」
「へぇ。僕は母上と海外に行ったよ。父上は多忙だったので来れなかったんだけどね——おい、クラッブ。お前の食べかすがこっちまで飛んできてるぞ。気をつけろ」
 クラッブは口にパイをぎゅうぎゅう詰め込んでいたが、マルフォイに睨まれると急に小さくなった。
 マルフォイはそれから三十分以上かけて、自分の夏休みがどれだけ豪華だったかを自慢し続けた。レノーラは適当な相槌を打ちながら話に聞き入るふりをしていたが、少なくとも四分の三は右から左へ聞き流していた。セドリックの話す内容と比べたら、ひどく退屈だった。マルフォイの話は次第にホグワーツへの不満に変わっていき、教科書や指定参考書のレベルが低いことや、一年生が自分の箒を持ってはならず、クィディッチ・チームの寮代表選手になれないことなどを批判しまくった。
「空を飛んじゃいけないなんて、馬鹿げてる」
 マルフォイは顔をしかめ、ゴイルから菓子袋をひとつひったくった。
「ホグワーツは、つまり、マグル生まれの連中と、僕たちのような旧家の魔法使いの差を埋めようとしてるんだ——ほら、やるよ」マルフォイがゴイルの菓子袋からとびきり甘そうなかぼちゃパイを差し出した。「——ダンブルドアはマグルびいきで有名だからね。君もおかしな話だと思わないかい?だって、下の連中に合わせてやるために、僕たちが我慢しなければならないんだ。不公平じゃないか?」
「そうね…」
 レノーラはかぼちゃパイをかじる際、ゴイルに目でお礼を言った。目が合ったゴイルは、相当驚いたような顔をしたが、再び大鍋ケーキをむさぼるのに没頭した。
 マルフォイはダンブルドア校長やホグワーツを批判している時、青白い顔の血色が少し良くなっているように見えた。まるでアステリアみたいだとレノーラは思った。レノーラ自身もマルフォイの意見に否定するつもりはなかったし、むしろ薄々同じことを感じていたのは事実だ。しかしレノーラとしては、せっかくのおめでたい日に、ここにいない他人の悪口を延々と聞かされるよりも、かぼちゃパイの甘みを満喫している方がずっと楽しかった。そう気づいて、レノーラは初めてクラッブとゴイルの気持ちが理解できたような気がした——もっとも、彼らが大食漢なのはマルフォイだけが原因ではないのだろうが。

 列車は人里を離れ、やがて荒涼とした風景の中に差しかかった。マルフォイの向こうに張られた窓ガラスに、うっそうとした森や暗緑色の丘がよぎっていくのが見えた。
 マルフォイは一方的に喋り続けていたが、レノーラにたびたびお菓子を渡してくれた。蛙チョコレート、大鍋ケーキ、杖型甘草あめ……ただし、バーティー・ボッツの百味ビーンズだけは、レノーラにあげるには失礼だと思ったのか、クラッブとゴイルに食べさせていた。
 コンパートメントの戸がノックと同時に開かれ、丸顔の男の子が入ってきた。レノーラたちはいっせいに男の子に注目した(クラッブとゴイルはまだお菓子を食べ続けていた)。
「邪魔してごめんね。僕のヒキガエルを見なかった?」
「ヒキガエル?」
 レノーラがくり返した。隣でマルフォイがクスクス笑ったのが聞こえた。
「逃げられちゃったんだ。ずっと探してるんだけど、見つからなくって…」
 男の子はべそをかき始めた。レノーラは困り果ててマルフォイを見た。
「…だって。どうしたらいいかしら?」
「ふくろうを飼えばよかったんだ。もっとも、ふくろうを買うお金がなかったんなら別だけど。ヒキガエルなんて飼ってて、何の役に立つって言うんだ?かくれんぼの相手になってくれるのがそんなにいいのかい?」
 マルフォイの口から次々と飛び出してくる悪口雑言に、レノーラはぽかんとした。確かにレノーラだってちょっとだけ「ヒキガエルなんて」と思ったが、まさかそれを面と向かって言う人がいるなんて考えもしなかった。男の子は大きくしゃくり上げ、逃げるようにコンパートメントを立ち去った。
「かわいそうよ」
 レノーラがさっそく抗議した。マルフォイは肩をすくめた。
「ヒキガエルなんかを飼ってるやつに、哀れんだりしてやるもんか。さっきのだってどうせ出来損ないの愚図さ」
 それから、マルフォイは魔法界の血筋について熱心に語り出した。マグル生まれには杖を売らないべきだとか、自分たちが「あんな連中」と机を並べて学ぶのは馬鹿げているだとか、今さら喚いたって仕方のないことを、生き生きと演説し続けた。
 背景に流れる話題が一周して父親自慢に戻ってきた頃、コンパートメントの戸が少し乱暴に開かれた。今度は見たことのない男の子が、意地悪そうなニヤニヤを浮かべて入ってきた。背が高く、手足もずんぐり太かった。筋肉質のゴイルといった感じだ。
「誰だ?何しにきた?」
 マルフォイはレノーラの肩を自分の方に抱き寄せて、男の子から遠ざけた。「挨拶もなしか?」
「そう言うなよ。お前、マルフォイだろ?」男の子が言った。
「そうだけど」
「俺はラリー。ラリー・ブライズデル。俺の姓は知ってるはずだ——ん?君は?」
 ラリーの目がレノーラに走った。レノーラはますます小さくなった。
「彼女はレノーラだ。ハーグリーヴス家の」マルフォイがまた庇ってくれた。「それより、用件は何だ?」
「後ろの方の車両に、ハリー・ポッターが乗ってるって噂になってる。お前、もう見に行ったか?」
 レノーラとマルフォイは目を丸くした。ラリーに気づかずバカ食いし続けていたクラッブとゴイルも、びっくりして食べるのを中断したほどだ。
「ハリー・ポッターだって?——いや、まだだ」
 マルフォイの薄青い目がキラッと輝いた。
この列車に乗ってるって?『ホグワーツ特急』に?」
「そういえば、私たちと同い年だって聞いたことがあるわ」
 レノーラが言った。マルフォイはもうレノーラを抱え込んでいなかった。
「どこにいるんだ?僕たちも見に行こう——クラッブ、ゴイル、それを片づけろ」
 マルフォイはレノーラの手を掴み、ラリーを押しのけてコンパートメントを出た。…その時、ラリーが突然屈み込んだ。レノーラは慌てて空いている方の手でスカートを押さえ、マルフォイにピッタリと体を寄せた。ラリーが大声で悪態をついたのが聞こえたが、マルフォイが荒々しく怒鳴りつけると、クラッブとゴイルがパッと後ろについてくれた。
「なんてくだらないやつだ!」
 スカートを覗かれたのはレノーラなのに、マルフォイはレノーラ以上にカンカンだった。
「あれがあのブライズデルだって?ふざけてる!」
「ブライズデルって?」
 強い力に手を引かれ、時々転びそうになりながらレノーラが聞いた。
「『同志』さ……聞いたことないか?純血の名家のひとつだ——まあ、僕も会ったのは初めてだけど」
 言いながら、マルフォイは同い年くらいの男の子たちが通路を全速力で駆け抜けていくのをヒョイとかわした。
「まったく、こんな幼稚な連中を我慢しなければならないなんて…」マルフォイが苦々しく言った。「ブライズデルだけじゃない。さっきの連中を見たかい?——でも、君がいてくれてほんとによかったよ。クラッブとゴイルとも、家族ぐるみで付き合いがあるけど、あんまり賢そうじゃないしね。それに、僕と君は……」
 マルフォイはチラリとレノーラを振り返ったが、レノーラが首を傾げると、すぐにパッと前を向き直った。相変わらず具合の悪そうな顔色だったが、耳がほんのりピンクがかっているように見えた。
「まあ、いいや。父上は——僕と君のお父上もだけど——、僕たちが仲良くすることを望んでる」
「…ふぅん」
 マルフォイがレノーラと繋いでいる方の手にギュッと力を込めてきたが、レノーラは振り払わなかった。顔中クリームだらけにして食べかすを飛ばしてきたり、スカートの中を覗こうとしたりしなければ、ちょっと嫌味っぽい喋り方をすることくらい、何でもないことのように思えた。

 最後尾の車両近くで、マルフォイは急に立ち止まった。上級生の女の子が、ひとつのコンパートメントを覗いてキャーキャー騒いでいるのが見えたのだ。マルフォイはクラッブとゴイルに向かってニヤッとすると——相当意地悪そうな笑い方だとレノーラは思った——、女の子たちを押しのけ、ノックも挨拶の一言もなしに、いきなりコンパートメントのドアを開けた。
 中には二人の男の子がいた。一人は燃えるような赤毛の、そばかすだらけの男の子で、キングズ・クロス駅でアステリアが陰口を叩いていたウィーズリー家の一人だとすぐに分かった。もう一人は、『マダム・マルキンの洋装店』で見かけた丸メガネの子だった。真っ黒い髪はろくに手入れもされておらず、何キロも走ってきた後のようにクシャクシャだ。レノーラたちはその黒髪の中を目でまさぐり、すぐに見つけた——『ハリー・ポッター』の証、額に残る稲妻形の傷を。
「ほんとかい?このコンパートメントに『ハリー・ポッター』がいるって、汽車の中じゃその噂でもちきりなんだけど。それじゃ、君だったのか?」
「そうだよ」
 ハリー・ポッターがうなずいた。ハリーの目が、マルフォイからクラッブ、ゴイル、そしてレノーラに走った。ハリーの目の動きに気づいたマルフォイは、面倒臭そうに背後の三人を示した。
「ああ、こいつはクラッブで、こっちがゴイル、彼女はレノーラさ」
 どうしてもっとちゃんと紹介してくれないのだろうと、レノーラはやきもきした。
「そして、僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」
 ウィーズリーがわざとらしい咳払いをした。クスクス笑いをごまかそうとしているのが見え見えだった。
「僕の名前が変だとでも言うのかい?そういう君は、誰だか聞く必要もないね。父上が言ってたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかすだらけで、育てきれないほどたくさん子どもがいるって——ポッター君。そのうち家柄のいい魔法族とそうでないのとが分かってくるよ。くれぐれも間違ったのとは付き合わないことだね。そのへんは僕が教えてあげよう」
 いくら世間知らずのレノーラでも、さすがにそれは「ない」と思った。マルフォイはハリーに握手を求めて手を差し出したが、ハリーはその手をちらりと一瞥しただけだった。
「間違ったのかどうかを見分けるのは自分でもできると思うよ。ご親切にどうも」
 マルフォイの青白い頬にピンク色が差した。危険信号だ、と察知したレノーラは、マルフォイの後ろから猛烈に首を振って見せたが、ウィーズリーもハリーも見ちゃいなかった。
「ポッター君」マルフォイがからみつくように言った。「僕ならもう少し気をつけるがね——礼儀をわきまえないと、君の両親と同じ道をたどることになるぞ。君の両親も、何が自分の身のためになるかを知らなかったらしい。ウィーズリー家やハグリッドみたいな過当な連中とつるんでいたら、君も同類に成り下がるだろうよ」
 ハリーとウィーズリーが弾かれたように立ち上がった。ウィーズリーの顔面は髪の毛の根元が分からなくなるほど赤らんでいた。
「もういっぺん言ってみろ!」
「へぇ、僕たちとやるつもりかい?」
 マルフォイがせせら笑った。レノーラは反射的に一歩後ろへ下がっていた。
「今すぐここから出て行かないなら、そうするよ」
 ハリーがきっぱりと言ったが、驚くほど深いグリーンの目が、一瞬不安そうにクラッブとゴイルを見たのをレノーラは見逃さなかった。
「出て行く気分じゃないな」
 言い返しながら、マルフォイはレノーラを隠すように前に立った。
「君たちもそうだろう?僕たち、自分の食べ物は全部食べちゃったし、ここにはまだたくさんあるようだし」
 あきれ果てたことに、ゴイルは真っ先に座席に山積みになった蛙チョコレートに手を伸ばした。すぐさまウィーズリーが飛びついた……が、二人が取っ組み合いに突入することはなかった。ゴイルが恐ろしい悲鳴を上げて蛙チョコレートの山から飛び退いた。
「ゴイル!」
 レノーラはパッと両手で口を覆った。ゴイルの指に、薄汚れたネズミが食らいついていた。ゴイルは言葉にならないわめき声を上げながら、ネズミを振り回して暴れ始めた。クラッブとマルフォイは後ずさりした。ところが、レノーラはたかがネズミ一匹でパニックを起こしてしまったゴイルの姿が滑稽に思えて仕方なく、つい噴き出してしまった。
「スキャバーズ!」
 ようやくゴイルがネズミを振り切った。ウィーズリーが痛烈な悲鳴を上げるそばで、ネズミのスキャバーズはバシッと窓に叩き付けられ、ズルズル滑って座席に落ちた。
レノーラ!行くぞ」
 レノーラが大笑いしていることに気づいていないマルフォイは、レノーラの腕をつかんで通路を走り出した。
「何なんだ、あいつは!礼儀知らずにもほどがある!有名で、誇り高い英雄『ハリー・ポッター』様だって!?」
 マルフォイが金髪を振り乱しながら怒鳴り散らした。つないだ手を乱暴に引っぱられ、レノーラはあまりの痛さに肩から腕が引きちぎれるかと思った。 ゴイルはまだスキャバーズに噛みつかれた指が痛むらしく、傷痕にフーフー息を吹きかけていた。
この僕がせっかく親切に声をかけてやったって言うのに、あいつ、嫌味で返した!お高くとまって、僕たちを下に見てた!その上、ウィーズリーなんかと付き合って——」
 どうやらマルフォイにとっては最善の挨拶の仕方だったようだが、レノーラはハリー・ポッターが気を悪くするのも無理はないと思っていた。あんな挨拶の仕方で友達になってくれるような人間は、よっぽど器が広いか、プライドがないかどっちかだ。
「額に妙な傷があるからっていい気になってるんだ。学校が始まったら、きっと痛い目に遭わせてやる……」
 なんだかとんでもない連中につかまってしまった。気遣いもなくグイグイ強引に引っぱられながら、レノーラは思わず溜め息をもらした。クレイオス一押しのマルフォイ家より、「裏切り者」と非難していたウィーズリーと一緒にいる方がよっぽど楽しそうだ。ゴイルの指に小さな歯でぶら下がっていたネズミを思い浮かべて、レノーラは三人に隠れてちょっと笑った。



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2011年07月24日
ちょっと短めですみません…。
ヒロインさん、マルフォイと行動共にしてるなう!
ハリポタ陣にはヒロインの印象をマイナスから初めて貰うことにしました(←)