黒い空に向かって聳え立つ、『黒の教団』の下。そこには、深緑の葉をいっぱいに生い茂らせた森が広がっていた。 その木の根の上で、目隠しをした神田が静かに六幻を構えた。

―――ヒュオッ!!―――

風が斬れた。




「298・・・・・・299・・・・・・」

ギシギシと軋む椅子の音、かすれたアレンの声。 汗をたらし、傾いた椅子の上で親指一本だけで体を支えて上下させている。

「300!!」

そこまでカウントすると、 アレンの目にまばゆい光が当たった。窓の外には、もう白い朝日が昇っている。

「夜が明けた・・・・・・」




アンバランスな平均台の上に、足を広げて逆立ちになる。それからはゆっくりと足を閉じ、 真っ直ぐな棒のようになって動きを止めた。平均台のふもとに置かれた数個の水晶が、倒れそうな具合にもたれあっている。

「おい、ちょっといいか?―――」

ドアが乱暴に開け放たれて、その途端水晶がガタリと倒れて地面に転がった。 ほぼ同時に、手元が突然狂ってしまった。

「きゃっ!?」

短い悲鳴と、ドサッと言う音。リーバーは顔をしかめ、 床に転がるを見下ろした。


古い経典


は司令室へ連れて行かれ、コムイのデスクの前に座らされた。ふかふかのソファーにまでバラバラと書類が散らばっている。 前回の任務前、あんなに片付けてっていったのに、どうして誰も手をつけなかったのかな。

「朝から呼び出しちゃってゴメンね。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ・・・・・・科学班としてね」

コムイは、苦味を含んだ笑顔を浮かべて言った。すると、リナリーが手に何かを持って奥から姿を現す。 色あせた表紙の、とても分厚い本だった。

「なんですか、これ」

リナリーから手渡されたそれを見下ろし、 はぽかんとして訊ねた。表紙の革はあちこちひびが入り、ずっしりと重たい。本には何故だか金の止め具がつけてあって、 鍵穴を差し込まない限り開けないような仕組みになっているようだ。

「なんかの経典みたいなんだけどさ、その止め具が厄介で、 何をしても外れないんだよね」
「こんなの、壊しちゃえばいいじゃないですか」
「うん。だから壊そうとしたんだけど、 全然壊れなくてさ。こじ開けようとしたってびくともしないんだよ」

はチラッと経典を見下ろした。 何だか奇妙な形の文字が数個並び、その下に大きな十字架が描かれている。

「これを開ければいいの?」
「う〜ん、できたら中身も解読して欲しいな。だからキミを呼んだんだよ」

―――なるほど。

この教団で数多くの言語を話せる人間といったら、ジャニス・クレイマー元帥かくらいしかいない。 ジャニスは行方不明だし、今はしか頼める人がいないのだ。

「よいしょ」

は止め具と本の間に指を差し込み、ギュッと力をこめて引っ張った。すると、あまり力をこめなくても、止め具はすんなり壊れた。 バキッと音を立てて外れ、そのあっけなさに唖然とする。

「なにこれ。すぐ取れるじゃない。わたし別に怪力じゃないわよ」
「あっれ〜?おかしいなぁ・・・。ボクが外そうとしても全然びくともしなかったのに・・・・・・」

コムイは目を白黒させながら経典をじっと見つめた。この様子じゃ、コムイは本当に頑張ったらしいな。

は肩をすくめ、表紙をめくってみた。中から黄ばんでフチの擦り切れた、古いページが何枚も顔を覗かせる。 大きめの、奇妙な形をした文字がズラリと横に並び、読める文字は一つもない。

「どう見てもギリシャ語じゃないし、 日本語でもフランス語、韓国語でもないわね。オッケー、それじゃ他に何語に見える?」

は本を開いたままコムイに突き出した。

「さぁね。やっぱり言語の壁はキツイね〜。なんか怪しいし、 教団設立当初からあるっぽいから調べようと思ったんだけど・・・」
「クレイマー元帥に送る? わたしよりもずっと言語に詳しいわよ」
「いや、輸送中に誰かに奪われたら冗談じゃない。暇な時にでも、 頑張ってリサーチしてもらえるかな?」

はもう一度経典に視線を落とした。信じられないほどの分厚さだが、 文字が大きいのでそれほど苦労はないかもしれない。まずは何語なのかを調べて、そうすればあとは翻訳していくだけだ。



「わかったわ」



にこりと頷いた。

あの時、もし承諾しなかったのならば。 一体わたしはどうなっていたのか、考えるだけでもゾッとする。それでも、わたしは頷かなければよかったと後悔もした。 結局は、コムイがこれを見つけなければよかったのだ。



***



「シリアルおねがい」

食堂で、料理長のジェリーに一言そう頼む。そしてはカウンターによっかかって周りを見回してみた。 やっぱり朝の食堂は明るいものだなーなんて思う。団員達の表情もにこやかだし、小さいけれど平和はいいものだなーと。

―――世界中がこんなだったらいいのに。

それなら戦いもないし、わたしだって普通の人間と同じ生活を送れたのに。 家族がバラバラになったり、最愛の兄や母が死んだり、そんなことは決してなかったはずなのにな・・・・・・。


ちゃんはーい、シリアルお待ちどーん!!」


背後からジェリーがぬっと現れた。 だんだんと曇っていったの表情が、突然アホ面にかわる。振り向けば、お皿いっぱいに入った牛乳とシリアル。

「ジェリーさん・・・ちょっとこれ多い―――」
「何言ってるのちゃんたら今日は小食ねー! いつもならオバケみたいにでっかいサンドイッチだって食べるじゃなーい!」
「え。そうだった?」
「そうよー!とにかくっ!残したらダメよ、ただでさえ少ないんだからねっ」
「だけど今日はなんか食欲がな・・・――――」
「はいお次は何かしらーん!?」


無  視  か  い  !  !


ていうか誰がオバケサンドなんか食べたのよ。勝手に人を大食い女にしないでってば。

「アラ!?」

と入れ違いに、カウンターへ歩み寄っていった少年を見てジェリーが声を上げる。何事かと思って振り返ってみれば、 それは昨日入団したばかりのアレンだった。

「新入りさん!?んまーこれはまたカワイイ子が入ったわねー!!」
「 ど う も は じ め ま し て ・ ・ ・ 」

―――ジェリーさん輝いてるわねー。 そしてアレンくん戸惑ってるわねー。

「何食べる!?何でも作っちゃうわよアタシ!!」
「何でも・・・ですか。 それじゃあ・・・」

アレンはちらと何か考え込んだが、直後何のためらいもなく口を開いた。



「グラタンとポテトとドライカレーと麻婆豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンにポテトサラダと 寿司とおにぎりにスコーンとクッパにトムヤンクンとライス、あとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本で」



 あ ん た そ ん な に 食 べ ん の ! ? 
「あ、量は全部多めでお願いします」


―――ていうかそれ 米 と り す ぎ な の で は ?


ドライカレーと寿司、それからおにぎり頼んだ上にクッパ食べただけでは飽き足らず、ストレートにライスまで頼むのか。 きっと食後にヨウ素液垂らしたら上から下まで紫で染まるわよ。




 何 だ と コ ラ ァ ! ! 




の肩がびくっと跳ねた。 物凄くけたたましい怒声に、誰もが目を丸くして音源を見つめている。大柄なファインダーが一人、拳を震わせて立っている。 その陰に、チラリと細身の男性の姿が見えた。

 も う い っ ぺ ん 言 っ て み や が れ 、  あ ぁ ! ! ? 

「おい、やめろバズ!!」

仲間の制止の声もむなしく、 バズの怒りの対象が動き出した。


「うるせーな」


パチン、と神田が箸を置く。

「メシ食ってる時に後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ、味がマズくなんだよ」
「テメェ・・・それが殉職した同士に言う セリフか!!」

―――神田くんも、これまた厄介な人間にケンカを売ったものね。

バズという男は、 ゴズよりも数倍図体がでかいし、腕も硬そうだ。あんなのが殴りかかってきたら、ひとたまりもないだろう。

「俺達ファインダーは、お前らエクソシストの下で命がけでサポートしてやってるのに・・・・・・それを、それを・・・っ」

バズの太い腕が高く振りあがる。


 メ シ が マ ズ く な る だ と ー ! ! 


物凄いスピードで振り下ろされた腕。神田はそれを難なく避けると、バズよりも数倍素早い動きで男の首を鷲掴みにした。 バズはうめき声を上げ、そのまま身動きが取れなくなる。大柄な男が細身の青年に殺されかけている光景は、なんとも奇妙なものだった。

しかし、悠長にそんなこと言っている場合ではない。早く止めなければならないのに、凍りついたようにその場から体が動かない。

「『サポート し て や っ て る 』だ?」

神田があざけるように言った。

「違げーだろ、サポートしか で き ね ェ んだろ?お前らはイノセンスに選ばれなかったハズレ者だ」

ギリギリと、神田の手に一層力がこもる。バズの体の震えが大きくなった。このままではバズが窒息死してしまう・・・!!

「死ぬのがイヤなら出てけよ。お前ひとり分の命くらい、いくらでも代わりはいる」


「ストップ」


神田の手首を、真っ赤な左手が掴む。アレンだった。

「関係ないとこ悪いですけど、そういう言い方はないと思いますよ」
「・・・・・・放せよモヤシ」

神田はアレンから目を逸らし、吐き捨てるように言った。 アレンの顔に、ピシリと何か冷たいものが走る。

「(モヤ・・・っ!?) ア レ ン で す 
「はっ。一ヶ月で殉職なかったら覚えてやるよ。ココじゃバタバタ死んでく奴が多いからな、こいつらみたいに」

―――ギリッ!!―――

今度はアレンが攻撃する番だった。神田の手を握る手に、一層力をこめた。 神田の手が震え、その痛みに神田は思わず顔をしかめる。何だかますます入り込みづらくなり、はその場でオロオロ立ち往生だ。

「だから、そういう言い方はないでしょ」

神田の視線が鋭さを増した。

「早死にするぜお前・・・。キライなタイプだ」
「そりゃどうも」

アレンは皮肉たっぷりの声で言った。 地響きがして、二人の周りをメラメラと火が覆う。もはやは震えることしかできない。

「ああぁぁああぁぁああぁああああぁああ・・・・・・」
「大丈夫、アンタ」

顔を真っ青にして力なくカウンターにすがりつくを、ジェリーはいささか心配そうに見下ろした。


「あ、いたいた!!神田、アレン、それからちゃん!!」

廊下からリーバーの声が聞こえてきた。 そして、アレンと神田の睨み合いがブツリと途切れる。音源に顔を向けると、荷を抱えたリーバーとリナリーの姿が見えた。

「10分でメシ食って司令室に来てくれ!任務だ」









(アレンの注文に寿司とおにぎり追加させていただきました)