―――とりあえず怪我人の手当てをすることが先決ね。

は神田がコートの下に着ていた白いカッターシャツを豪快に破り、 包帯代わりに傷口に巻いた。神田は痛みを感じて少し呻いたが、は無視して応急処置を続けた。

持っていた飲み水で自分の真っ白いハンカチを湿らせ、神田の顔の傷口に付着した泥をそっと拭いていく。傷にしみたのか、 神田はうっと呻きながら身をよじった。

「痛ェ・・・」
「そりゃあそうでしょうよ」

溜め息をつきながら言うが、 神田は何も答えを返さなかった。目は硬く閉ざされたままで、ひょっとしたらまだ意識がハッキリしていないのかもしれない。

「怪我はどうですか?」

アレンが穏やかな声で尋ねてきた。心配そうに神田を覗き込んでいる。彼の向こうには、 グゾルの膝の上で大人しくしているララの姿が見えた。どうやらやっと落ち着いてきたようだ。

「どうかしら・・・。 わたしは医者じゃないからよくわからないもの。だけど・・・出血多量だってコトくらいは素人にもわかるかな」

は肩をすくめながら、ハンカチで神田の頬の傷をそっと拭った。白かったハンカチは、もう赤と黒に染まってしまっている。

「あ。でも、神田くんなら、これくらいの傷すぐに治るんじゃないかしら?」
「え?どういう意味ですか、それ」

アレンはきょとんと首をかしげた。

「さぁ―――でも、昨日の任務で負ったケガ、凄くひどい傷だったのに、もう綺麗に 消えてるの―――わたしもよくわからないけど」

はまた肩をすくめるしかなかった。あの時斧で切り裂かれたはずなのに、 傷が跡形もなく綺麗に消えているのだ。ちょっと『治りが早い』どころじゃない。

「あ、そうだこれ」

アレンは何か思いついたように声を上げてから、団服を脱ぎ始めた。一体何をする気なんだろうとがぽかんとしていると、 アレンは丁寧にそれを畳み、にこやかに差し出した。

「神田の枕代わりにでも使ってください。僕は傷の手当も何にもできない から・・・これくらいしかできないですけど、」

アレンは少し情けなさそうに笑う。はにっこりと微笑みながら、 彼から団服を受け取った。思ったより重い―――女子用とは凄い違いだと思った。

「ありがとう」


奪わないで!


アレンはとりあえず安心したようで、立ち上がるとクルッと身体の向きをかえ、ララのほうへ歩み寄っていった。 ララはゆっくりと反応し、グゾルにしがみついたまま顔をアレンのほうへと向けた。

「少し落ち着いたかな・・・?」

アレンはかがみこんでララの顔をのぞきながら優しくたずねた。

「落ち着いたわ、ありがとう」

ララはか細い声でかすかに答えた。

「じゃあ、教えてくれるかしら?貴女とグゾルの過去に一体何があったのか・・・。 だけど、嫌だったら言わなくてもいいのよ。だってわたしたちは他人なんだから―――下手に首をつっこむワケにいかないもの」

辛い過去だったら、他人に話す義理なんてない―――はそう思って、穏やかに言った。

「いいのよ。 だって貴方たちは私たちを助けてくれたんだもの・・・」

ララは優しい笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。


「昔ね、一人の人間の子供が、マテールで泣いていたの。その子は村の人間たちから迫害されて、亡霊が住むと噂されていた、 この町に捨てられた――」



     にんげん…
にんげん…

                  にんげんだ…
                                  ぼうや…歌はいかが…?



「マテールの民が去って500年・・・すっかり荒れ果てたこの町に人間が迷い込むのは、別にこれが初めてじゃなかった」

ララはポソリと言った。その表情が、かすかに歪んだように見えた。

「確かこの子供で6人目・・・5人は私が『歌はいかが?』 と聞くといきなり襲い掛かってきた。『化け物』、そう言って叩きのめして。私は『歌はいかが』と聞いたのに―――」


私は人間に作られた人形

人間のために動くのが、私の存在理由


歌 わ せ て ! ! !



「だから目の前のその子供も、私を受け入れてくれなかったら殺すつもりだった。 5人のように」


うた?


ぼくのためにうたってくれるの? 誰もそんなことしてくれなかったよ?

ぼく、グゾルっていうの――うたって、亡霊さん



「あの日から80年・・・グゾルはずっと私といてくれた」

ララはグゾルの胸にとんと頭を傾けて、耳を心臓に寄せた。

「グゾルはね、もうすぐ動かなくなるの・・・心臓の音がどんどん小さくなってるもの」

哀しいのか、辛いのか、 ララの声はますますか細くなった。愛する人の死を見届けるのはどんなに辛いことだろう――は涙が出そうで、 必死で堪えようと表情をゆがめた。

「最後まで一緒にいさせて―――」

ララの声が、少しばかり強くなった。

「―――グゾルが死んだら、私はもうどうだっていい・・・。この500年で人形の私を受け入れてくれたのはグゾルだけだった」

ガサ、近くで物音がして、は視線を落とした。自分の足元に横たわっていた神田が目を覚まし、体を起こそうとしていた。

「神田くん、傷に触るからまだ寝ていた方が―――」

がそれを制しようとしたとが、神田は何の反応も見せなかった。 ただ黙って体を起こし、ララのほうを見据える。アレンは神田に気づかず、ララの話に聞き入っている。

 最 後 ま で 人 形 と し て 動 か さ せ て ! ! 

お願い!続けてそう叫ぶララ。 そのとき、神田が口を開いた。


 ダ メ だ 


神田の低い声が、広間いっぱいに響き渡った。

「その老人が死ぬまで待てだと・・・?この状況でそんな願いは聞いてられない・・・っ―――俺たちはイノセンスを護るために ここへ来たんだ!!」

まさか、ララの願いを聞かないという事だろうか。は目を見開いた。それでも、心のどこかでは 理解していた・・・神田はそういう人間なんだと。どんな事情があろうと、与えられた任務をこなすためには手段を選ばないと。



 今 す ぐ そ の 人 形 の 心 臓 を 取 れ ! ! 



―――ホラね。

頭の中で、そんな声が聞こえてきた。フツフツと沸き起こってくる怒り。それを制する堤防は、もう崩れかかってきている。 神田のやり方には、我慢できない。


「何故?」


零れ落ちた自分の声は、恐ろしいほど冷たいものだった。









(みみみ短くてごめんなさ・・・!!)