マテールに、再び静寂が訪れた。アクマの持っていたイノセンスは、爆風にあおられ空高く舞い上がると、静かに音を立てて落下し始める。 大きく穴の開いた地下を通り、そして、アレンの傍に落ちた。

気を失っていたアレンは、砂を伝ってくるその衝撃で目を覚ます。

「生きててください・・・」

アレンがポソリと言った。きっとそれは、グゾルに向けられた言葉。

「もう一度、ララに・・・・・・」

神経を侵され、ビリビリと震える手を伸ばすアレン。はその傍に横たわりながら、 黙ってそれを見つめていた。

本当に辛いのは、これからなのだ。


荒野の歌姫


「Grazie per comprando (お買い上げありがとう ございます)」

ローズクロスを見せ、代金をそこに請求するようになんとかジェスチャーで伝えると、店員はにこやかに言いながら 商品を差し出してきた。しかし、今何と言ったのかがわからない。英語を喋ってくれればいいのに、ここの店員はイタリア語しか話せない らしい。

「・・・・・・?え、はぁ・・・その、どうも」

結局なんて言っているのかは理解できず、 は適当にモゴモゴ言った。

が入ったのは「音楽用品店」。ちょうど通りかかったショーウィンドウになんとも 魅力的なモノが飾ってあったので、ついつい教団にお金を請求せて買ってしまった。そんなが店から出てきて抱えていたのは、 黒いギターのソフトケース。

「いいわよね、別に・・・めちゃめちゃ高いけど大丈夫。コムイ室長の方が悪いことしてるもの」

個人的にほしいものを購入してしまったことに対する罪悪感。しかし、普段のコムイの「職権乱用」を思い起こし、落ち着かせるように そう言い聞かせた。そして、背中のソフトケースに視線を向ける。

「懐かしいな、ギター買うなんて何年振りかしら・・・」

そう、最後にギターを買ってもらったのは、ジャニス元帥とアメリカの都心へ行ったとき。木目の印象的なアコースティックギターを買って もらった覚えがある。小さい頃は、歌手になりたいと本気で思っていた・・・懐かしい、バカみたいな思い出。

「アレンくん、まだあそこにいるのかな・・・」

目頭がじんわりと熱くなってきた。これで、今日泣くのは何回目なんだろう? 10年前よりも涙腺がダメになってしまったんじゃないかと本気で心配になってしまう。

「あの荒野の歌姫と、 一緒に歌ってみたかった・・・」

いつだって、わたしの願いはバカみたいなの。



あの後、心臓を取り戻したララは再び動き出した。

しかし、それはもうグゾルに会ったときのララではなく、亡霊と噂されていた時の、 孤独な人形だった。頬は錆び、指は曲がり、動くたびに軋み音を立て。壊れたものは、二度と元には戻らない。それが自然の摂理。

「人間様…私は人形…歌いマスわ…」

その人形は、ボロボロの手を、軋ませながらグゾルに伸ばした。


グゾル

        次は何のお歌がいい?
                                ホラ、こんなに綺麗になったよ、ララ!
ララ?
亡霊さんの名前…そう呼んでいい?
坊や…お歌はいかが?


ぼくのためにうたってくれるの?


「ぼくのために、うたってくれるの・・・?」


ララ・・・だいすきだよ・・・・・・


その言葉は、ララにはもう、届かなかった。

「眠るのデすか?じゃあ子守唄を」

ララは機械的に笑い、それから歌声を空に響かせた。横たわるグゾルの体は、もうピクリとも動かない。息も、していなかった。





人 形 は 、あ れ か ら ず っ と 歌 を 歌 い 続 け て い る 。





『いいねぇ、蒼い空。エメラルドグリーンの海。ペルファヴォーレイタリアン♪』
「だから何だ」

受話器から聞こえてくる陽気な声に、神田は半ばイライラしながら、頬に貼り付けていたガーゼを引き剥がした。電話の向こうの彼は、 突然狂ったように笑い出す・・・いや、もとからかもしれない。

『「何だ」?フフン♪』

どうやら完全に火をつけてしまった らしい。「何に?」、だって?コムイの爆弾にだ。

『羨ましいんだいよちくしょーめっ!アクマ退治の報告からもう三日! 何してんのさ!!ボクなんかみんなにコキ使われて外にも出れない、まるでお城に幽閉されたプリンセ―――』

「わめくなうるせーな」

ギャーピー喚くコムイを一蹴し、神田はさらに手首に刺さったままの点滴の管をブチ抜いた。しっかり働くが任務に出ると このザマか。

「文句はアイツに言えよ!つかコムイ、俺アイツと合わねェ!」
『神田君は誰とも合わないんじゃないの? あ、ちゃんは例外かな』
「はァ!?何言ってやがんだ、テメェ!!」

神田は目を吊り上げて受話器に向かって怒鳴った。

『いやぁ・・・春だねェ♪そろそろ秋だけど』
「お前言ってることの辻褄あわせたほうがいいぞ」

意味がわからない、 と神田は顔をしかめる。すると、電話の相手はまたしても嘲笑を漏らした。

『やだなぁ!恋の季節の言い回しだよ! 神田君もやっと独身から抜け出すのかぁ!まぁ尤も、ちゃんは神田君のこと物凄く毛嫌いしてるみたいだけどね』

神田の動きがピタリと止まった。ショックを受けたのではなく、ただ単に驚いたのだ。

「毛嫌い?」
『ちょっと優ーしくして あげてもいいんじゃない?特にあの子は怖がりだし、話しかけてくれもしなくなったら、神田君も辛いでしょ?』
「お前は一体何を 勘違いしてるんだ?」

神田は溜め息まじりに唸った。まったく、世話係を押し付けられ、連続で任務を共に遂行させられ、 挙句の果てにはこの扱いか。一体どこからそんなバカらしい情報が流れたのか、不思議なくらいだ。

『え?ファインダーのゴズが、 神田君がちゃんに妙に優しいって言ってたからてっきり好きなのかと―――』
―――畜生、ゴズめ。
「テメェらふざけてると帰ってからぶっ殺すぞ」

神田が静かに言うと、コムイは突然咳払いして話をごまかそうとした。


『それはさておき、アレンくんは?』
「まだあの人形と一緒にいる!」

病室いっぱいに響くほどの怒声。受話器のコードの繋がる先、 携帯電話を背負ったトマは、呆れた様子でそこに突っ立っている。

『・・・そのララって人形、そろそろなのかい?』
「多分な。もうアレは五百年動いてた時の人形じゃない・・・じき止まる」


神田がそういってベッドから立ち上がったときだった。 病室のドアをパッと跳ね開けて、浅黒い肌のドクターが駆け込んで来た。とても慌てた様子で、こめかみにじんわりと汗が滲んでいるのが見える。

「ちょっとちょっと、何してんだい!?」
「帰る。金はそこに請求してくれ」

神田は受話器を下ろさずに、 素早くドクターの前に進み出たトマを指差した。彼の手には、小さな名刺。ドクターは一瞬「えっ?」と顔の向きを変えて名刺を見下ろしたが、 すぐに神田に視線を戻し、猛烈に首を振った。

「ダメダメ!あなた全治5ヵ月の重症患者!!」
「治った」
「そんなワケないでしょ!!」

しらっと答えると、ドクターは目をカッと見開いて怒鳴りつけてきた。神田は疲れたように舌打ちすると、 素早い手つきで体中に巻かれた包帯を外し始めた。肩から腰にかけて出来ていた傷は、もはや跡形もないくらいに消えている。

神田はそれをドクターに押し付けると、ふさがった傷を見せ付けるようにしながらシャツを羽織った。左胸には刺青が彫ってあるだけで、 傷らしきものは一つも見当たらない。

「世話になった」

神田は一言そう告げて、病室を出て行った。

『今回のケガは時間かかったね神田君』
「でも治った」

病室を出るなり、また受話器からコムイが諭すような声をかけてきた。 神田がしらっと言葉を返すが、コムイは黙らない。

『でも時間がかかってきたってことは、ガタが来始めてるってことだ・・・計り 間違えちゃいけないよ』

コムイは、少し息継ぎをしてから続けた。




『 君 の 命 の 残 量 を ね 』




神田は、ピタリと足を止めた。

「で、何の用だ。イタ電なら切るぞコラ」
『ギャーッ!! ちょっとリーバーくん聞いた!?今の辛辣な言葉!!』

神田はまたかと溜め息をついた。教団はやっぱり、相変わらずらしい。

『違いますぅ〜!次の任務の・・・』

コムイがギャーギャー言っていると、神田はふと、傍に立つ女性に目を留めた。 手の中には小さな赤ん坊が、穏やかな寝息を立てている。

「あらあら、どうしたのかしらこの子・・・いつも子守唄歌わないと 絶対眠らないのに―――」

サワサワと音を立て、気の葉が揺れている。耳を済ませてみれば、その空の向こうから、 風に乗って何かが聞こえてくるような気がする。ギターの音色と、歌声が。

「まだ・・・歌ってるのか・・・」
「は?」

神田が呟くと、コムイが話を中断させて間抜けな声を返してきた。目を閉じれば、聞こえてくる、荒野の歌姫の声。



***



はアレンのすぐ横に腰掛け、ギターを抱えて弦をかき鳴らしていた。 次第に小さくなっていくララの歌声を、ギターの伴奏が飾る。一方、アレンは膝を抱えて俯いたままで、顔を上げようとしなかった。

「何やってんだ、しっかり見張りしろ」

階下から神田の声が聞こえて、足音が近づいてきた。 神田はもう替えの団服に着替えていて、髪もキッチリ結んでいる。は何だか彼の平然とした表情に無償に腹が立ち、 わざと神田に気付いていないふりをした。

「あれ・・・?全治5ヵ月の人がなんでこんな所にいるんですか?」

アレンが神田に気付いて声を上げる。顔をあげないままで喋ったので、モゴモゴした聞き取りにくい声が聞こえてきた。

「治った」
「ウソでしょ・・・」
「うるせェ」

神田とアレンの調子も、任務前となんら変わりない。 は少し苦笑しながら、ギターの弦を一気にかき鳴らした。

「コムイからの伝達だ。俺とはこのまま次の任務に行く。 お前は本部にイノセンスを届けろ」
「・・・・・・・・・わかりました」

神田は振り返って、アレンの様子を伺った。 眉間にしわを寄せ、何だか何かを言おうとためらっているような表情だ。が不審に思って見つめていると、神田はまた顔を背けて言った。

「辛いなら人形止めてこい。あれはもう『ララ』じゃないんだろ」
「ふたりの約束なんですよ。ララを壊すのはグゾルさんじゃ ないとダメなんです」

アレンはモゴモゴと神田の言葉に答えた。また、ふたりの間に沈黙が流れる。それでも、歌は止まらなかった。


「甘いな、お前は」


神田の声が空に響いた。

「俺達は『破壊者』だ。『救済者』じゃないんだぜ」

神田が言った。思わず、の手が止まる。ギターの音色がプツリと途切れ、アレンがゆっくりと顔を上げた。

―――『破壊者』。
その言葉が、妙に息苦しくて。自分が破壊してきたのは、アクマだけじゃない。きっと、色んな人々の絆も破壊してきた。 破壊することによって、人々を救ってきたつもりだった。




だけど、わたしが破壊したのは――――




「・・・・・・・・・・・・わかってますよ、でも僕は―――」

アレンの声が途切れた。ちょうど空虚に風が吹き込んできて、 三人は目を見開いて息を呑んだ。

「歌が、止まった・・・」

再び静寂を手に入れたマテール。グゾルが死んで三日目の夜、 人形は止まった。瓦礫の隙間から差し込む日の光が、ふたりの姿を照らし出す。アレンはよろよろと立ち上がると、 危なっかしい足取りでララの元へ歩み寄って行った。

その背中から感じる悲しみ。彼は本当に悲しんでる。ララを壊してしまったことを。




――――わたしが壊したのは、アクマだけじゃない。




いつしか、街角で歌う女性に魅入ってしまった あの日。とても綺麗な声。元々歌が好きだったわたしは、歌手になることに憧れた。



どうしたんだ、?やけに嬉しそうだな。

パパ、わたしね!おおきくなったら歌手になりたい!

そうか!お前ならきっとなれる!よーし、パパがギターを買ってやろう!





――――そんなわたしが壊したのは、 幼い頃の夢と、親子の絆、




ママぁ・・・パパぁ・・・

お兄ちゃん、行かないで・・・!! 仇なんか取らなくていい・・・!

傍にいてよ!もう一人にしないでよぉ!




そして、大切な家族の絆。




「神田・・・それでも僕は、誰かを救える破壊者になりたいです」




アレンが涙を拭ったその時、の瞳からまた涙があふれ出してきた。









(わけありヒロインでごめんなさい)