そこは、クロフォードの城の下にある、小さな町。 数年前、セシリー姫は父親に殺害された。 その遺体は町の中心地に、 今も保管されている。 しかし、姫は大人しく殺されていなかった。 彼女は霊廟から起き上がり、 父親の首を寝ている間に撥ねたと云う。 それでも彼女の怒りは治まらず、未だ、夜になると人間を虐殺する。 人々はいつしか、夜に外へ出なくなった。 それでも、姫は夜になると街を歩き回っている。 人間を、地獄へと引きずり込むために。 「酔うぞ」 「酔わない」 神田がそう言ったのは、羽根ペンが猛烈にガリガリと紙を引っ掻く音がうざったかったからかもしれない。 はピシャリと否定すると、ペンを握る手を休めずに、左手で辞書をパラパラとめくりだした。 「えーっと、えーっと、 この単語が『is』の役割を果たしてるんだとしたら―――」 がブツブツ言いながら頭を突いていると、 神田が疲れたように溜め息を吐いた。今が訳しているのは、コムイから受け取った分厚い経典。なんと経典の言語は『古代シュメール語』 だったようで、思ったよりも翻訳に苦戦した。 「どこまで訳したんだ?」 「『もし、神が私たちを』、まで。最初の一行半」 弱々しく溜め息をつくと、がどんなに絶望的に仕事しているのか、神田にも伝わったらしい。もう汽車に乗って、仕事に取り掛かって から二時間以上経っている。 「それにしても、何でテメェは古代言語の辞書なんか持ち合わせてんだ?」 「えーと、企業秘密・・・? って、そんなワケないけど」 まぁ、普通に考えれば確かにありえない話だ。任務へ向かう途中のエクソシストが、 偶然にも古代言語の辞書を持っているのだ。 「ジャニス元帥が、どっか行くならその道がてら、色んな言葉を覚えるのがいいって おっしゃってたから。だから、いつも出かけるときは辞書を持っていくことにしてたの」 「・・・・・・俺には理解できんな」 神田は思い切り不快そうな目つきでに言った。何だか、今日はいつもに増してオーラがピリピリしているような気がする。 「ねぇ、今日神田くんミョーに機嫌悪くない?何かあったの?」 おずおずと尋ねると、 神田の今まで以上に恐ろしいオーラが襲いかかってきて、は思わず「ヒッ」と悲鳴を上げた。 「・・・俺はアイツが嫌いなんだよ」 神田がギラギラ殺気を放ちながら言った。 「アイツ?あー、えーっと、何だっけ、 ウサギさんじゃなくて、そのー、・・・ラビさんのこと?」 「思い出すのに凄い時間かかったな」 それは、神田くんが怖くて脳が正常に働かなかったからだ、だなんて死んでも言えない。いや、地獄に落とされて閻魔様に切り刻まれそうに なったとしても言えやしない。 「確か、この駅で合流するエクソシストよね?どんな人なの?」 は尋ねてから、神田のオーラが一層恐ろしくなったので、やっぱり言わなければよかったと猛烈に後悔した。 でも、とりあえず神田が物凄く嫌うような人間だ、という事は理解できたような気がする。 「噂をすれば」 神田がボソッと言って、仏頂面になって押し黙った。腕を組むと、逃げるようにコンパートメントの隅まで体を寄せて。ワケがわからずがあたふたと していると、コンパートメントのドアが勢いよく開かれた。 「ユウー!っちゃ〜ん!ラビっす!久しぶりで、初めまして〜!」 そう言いながら入ってきたのは、と同じような髪色をした、そしてと同じような目の色をした、眼帯の男。 背は高く、何故だか首にマフラーを巻いていて、とても目立つ格好だ。左胸にはローズクロス―――あぁ、これがラビさん? ―――ん? 「ゆ、ユウ?」 一体誰のことだろう?ひょっとして神田の事?そういえば、『カンダ』って日本人のファミリー ネームだったような。 「あれ、知らなかったんだ。ユウってコイツの下の名前!呼んでやれよ、小躍りして喜ぶんさ」 ラビがにっこりと愛想よく笑うと、コンパートメントの隅から六幻が鞘に入ったまま飛んできた。 「誰がいつ喜んだ!?」 どうやら、このラビという人は嫌がらせがスキらしい。この反応はどう見ても、小躍りして喜んでいる人間のすることじゃない。 「へぇー、じゃあ、神田ユウっていうの?かわいい名前!!」 「んだろ?」 ラビは額をさすりながら 苦笑した―――神田の投げた鞘が、彼の額をガンと直撃したのだ。 「性格に反して、名前だけは奇妙なくらいかわいらしいんさー!」 「ふふ、性格も良かったらカンペキなのにね・・・」 何だかラビとは気が合う。は口元を隠し、 神田を見て悪戯っぽくニヤニヤした。こんな風に人をからかうのは初めてだ。 「 黙 れ よ 、 ニ ン ジ ン 二 人 組 」 ついに神田がキレた。 「モヤシの次はニンジンですか・・・・・・」 は呆れて、コンパートメントの壁にごつんと額を打ち付けた。 小さい声で呟いただけなのに、ラビだけはしっかり聞き取ったようで、キョトンと首をかしげて聞いてきた。 「モヤシ?」 「ほら、ついこの間大騒ぎになった入団者いたでしょう?アレンっていう、白い髪の男の子・・・あの子の事」 「あぁ〜・・・」 どうやら納得したらしいラビが上げた声は、物凄く間抜けだった。 「 で 」 神田がムスッと声を上げ、 二人は顔を上げて神田を見た。声の調子の通り、神田は物凄く不機嫌そうな顔をしている。 「資料はちゃんと持ってきたんだろうな」 「バカにすんな、ちゃんと持ってきたさー」 ラビは自分のスーツケースから資料を三人分引っ張り出し、 その一冊を神田に投げつけた。神田は自分の顔めがけて飛んできた資料を叩きつけるようにキャッチすると、 ラビにとっておきの一瞥をくれてから表紙をめくった。 「今回の任務内容は聞いてるよな?それが事件の詳細さ」 ラビはそう言いながら、残りの一冊をに手渡した。受け取ってみると、何だか分厚くて重いのがわかる。は膝の上に 置いていた経典とノートをどけると、分厚い資料の表紙をめくってみた。 「うっ―――」 思わずすぐに閉じてしまう。 一ページ目からグロテスクな挿絵がついていたのだ・・・あまりしっかり見ていなかったが、多分、あれはミイラだったと思う。 今回の任務、にとって資料を読むのは難しそうだ。 ―――それに比べて、男子軍は・・・。 はチラリと 神田を見やった。神田は表情一つ変えずに、黙々とページをめくっている。 「そんでー、今回の任務はー・・・」 ラビがそう言いながら、のすぐ横に腰を下ろしかけたときだった。突然六幻の鞘がこちらに向かって飛んできて、 物凄い速さでとラビの顔の間に突き刺さった―――コンパートメントの壁に、深くめり込んで。 「ひっ・・・・・・・・」 「悪ィな、六幻の鞘がひとりでに」 そんなワケない。鞘が勝手に飛ぶなんて、それこそ怪奇事件だ。でもそんな事口が避けても言えず、 は無理矢理笑った・・・尤も、顔の筋肉が上手く動かなくて、引きつった変な顔にしかならなかったけれど。 ラビは何か感じ取ったらしく、六幻を壁から引き抜くと、黙って神田の隣の席に移動した。一体、何を神田はそんなにピリピリしてるんだろう? ワケがわからない。 「んで、任務の話に戻るけど。ファインダーの調査によると、町の中心地にセシリー姫の霊廟があるらしいんさ」 ラビの声がの頭の中に割り込んできて、ハッとした。そうだ、今は任務に集中しなきゃ。資料もちゃんと見なきゃ! 怖いことから逃げてちゃダメだもの―――はゴクリと唾を飲み込むと、思い切って資料の表紙をめくった。 「ひぃいいいぃいぃぃぃ〜、やっぱダメ〜!!」 やっぱ逃げよ。 は悲鳴を上げ、慌ててバタンと資料を 閉じた。ラビと神田が驚いてこちらを見つめているが、怖いものはしょうがない。 「ど、どうした?」 神田もびっくりだ。 「ひょっとして、怖くて資料読めないんか?」 ラビがおずおずと尋ねてきて、はこくんと頷いた。 神田は舌打ちと溜め息を続けて大きく響かせて、資料をパラパラとめくり始めた。何をするんだろうと思っていると、神田が突然口を開いた。 「今からおよそ十年ほど前、クロフォードという町の城で殺人事件が起こった―――」 ・・・・・・・・・・あれ? 「―――殺されたのはセシリー・クロフォード姫で、彼女の遺体は町の中心に建てられた霊廟に寝かされた。ところが、ある日突然城にセシリー が現れ、自分の父親の首を切り落とした・・・なぜなら、彼はセシリー姫を殺した犯人だったからである」 ・・・・・・・・・・ひょっと して、資料を読んでくれてるの? 「それから、毎晩のように怪奇事件が続いた。夜、街を出歩いている人が次々と変死体で見つかった のである。そして一番奇妙なのが、事件前後には、遺体発見現場の傍で必ず、不審者の影が目撃されているという事」 ・・・・・・・・・・カ、カカカ神田くんがっ!?わ、わたしのために!? 「不審者というのは、長い黒髪の不気味な女性・・・肌 は腐敗し、服も血だらけ、そしてその顔は、死んだセシリーそっくりだと言う」 ・・・・・・・・・・びょ、病院連れて行ったほうがいい? 「・・・聞いてんのか?」 があんぐり口をあけていると、神田が眉を吊り上げた。は慌ててコクコクと頷く。 「いえ―――ただ、その・・・神田くんのことだから強制的に読まされると思ってただけ・・・」 「任務の詳細しっかり頭に叩き込んでおかなけりゃ、足手まといがさらに酷くなるからな。どうせ挿絵が怖いだけだろ」 「えぇ・・・あ、ありがとう―――」 はゴニョゴニョとお礼を言った。ひょっとして、神田もそこまで冷血な人間じゃないのかもしれない―――というのは、三回連続で 彼と任務をともにこなしたから言える事かもしれないが、それでも、実は優しい人なんじゃないかと思った。 ―――ひょっとしてこの人、性格もカンペキだったりする・・・? だめだよ、それじゃあ好きになっちゃうよ! ただでさえ、強くてカッコよくてキレイな顔してるんだから! |