「おや、どうしましたか?随分と遅かったですね」

ドアを開け放ち、クリーグル執事は三人を冷ややかに見下ろした。 神田とラビを背負うを。はまだ気を失ってはいない。しかし、その息は荒いし、足もガクガクだ。

「ちょっと…調べ ものをしてたから……」
「いいえ、そうじゃありませんよ。毒が回るのが随分と遅いですね、と申しているのです」

クリーグルは 嘲るように笑った。その笑みを見ているだけで、どんどん体が弱っていくような気がする。彼はアクマではないかもしれないが、心は最低の 悪魔だ――そう思った。

「…………解毒剤は…ないの…?」
「さぁ?あなたエクソシストでしょう。アクマの毒くらい浄化できる んじゃないんですか?」

クックッと噛み殺したような笑い。は悔しくて奥歯を食いしばり、そして空いている方の手で力の限り クリーグルの胸倉を掴んだ。

「ふざけるな…!!この性悪悪魔め…!もし二人が死んだら、 わ た し は お 前 を 許 さ  な い ぞ ! ! 
「ほう、許さないとどうなるのです?」

クリーグルはニヤリと意地悪く微笑んだ。イライラが募る。 爆発しそうだ。




「貴様を殺してやる」




低い声で唸る。するとクリーグルはまたクツクツと笑って、 つまらなそうに肩をすくめた。

「まったく。これだから、感情で動くエクソシストはダメなのです」

クリーグルは薄気味悪い 笑みを浮かべたまま、冷たい目でを見下ろしていた。それはずっと変わらない。何故逃げないのだろう?毒に侵されているとはいえ、 自分の数倍もの有力者を目の前にして、何故逃げ出さぬのだろう?

「護るべきヒトを殺すだなんて…まさか、セシリー様を救うだなんて 言い出さないでしょうね」
「ご存じないようだから教えてあげるけども、イノセンスによるアクマの破壊はその魂の救済と同じことよ」

はギリギリと奥歯を食いしばり、その隙間から唸り声を捻じりだすようにして言葉を返してやった。

「本当にそう思います?」
「は?」

は思い切り訝しげに聞き返した。だってそれは元帥に教えてもらったこと。元帥の言葉は絶対だ。元帥は嘘をつかない。

「残念ですが、それはヒトを殺すのと同じようなことなんですよ」

クリーグルはニヤリといっそう笑みを深くした。汗がの 頬を伝う。毒が体を虫食んでいくのを感じる。

「だって、残されたヒトの気持ちはどうなると思います?たとえ失ったのがアクマでも、 残酷な状況を味わわせるという面では同じこと。そう思いやしませんか?」

「それは……」

どうしてか、彼の言葉が意表をついて いるようで、反論できなかった。



「それでも、あなたは俺や彼女を殺せるのか?無理だね。絶対に無理だ。性格温厚、内気、 気弱なさん?」



―――ちがうの?間違ってるの?わたしたちの考えは、間違ってたの…?



「最強のイノセンスを持った、最弱のエクソシスト。俺は伯爵様からそう聞いたぜ。そんなお前に、セシリーを殺せるものか!」

―――最 弱って…わたしは、

「くたばってしまえ!神田もろとも!!だらしない、愚かなその神田もろとも!!」
 黙  れ ! ! 

どうしてそう怒鳴ったのか分からなかった。ただ、自分の声がいつもと違う表情でワッと城内に反響していて、 そして自分の両腕が二人を手放し、クリーグルの首を締め付けている――そんな状況が目に付いただけだった。

「…ぁ、」

急いで手を放して、後ずさりして。体がブルブルと震えている。痙攣じゃない、恐怖で震えているのだ。一方のクリーグルはゲホゲホとむせ返り、 地面にうずくまっている。


「………ッ!!!」


おそろしくなって、は二人を抱えて一目散に駆け出した。 城の中へと。カンカンカン、とブーツのヒールが硬い大理石の床を打つ音が響く。

「殺せェ!!エクソシストを全員殺せ!斬り殺してし まえェ!!」

クリーグルの掠れた怒鳴り声が、背後から飛んで来た。と同時に、四方八方から向かってくる殺気に気付く。


「ッ、発動!!」


急いで右手に抱いていた神田を肩にすべらせ、空いた右手で恍輝を振るう。危機一髪、飛んで来たアクマの攻撃を 黄金に光る刃でなぎ払った。ギャンギャンと音を立て、跳ね返した攻撃があちこちに飛んで行く。

―――なんで…こんなに殺気が…?


「げへへへへへ!!」
「きゃっ――」


目の前に何かが現れて、は悲鳴を上げながら急ブレーキを掛けた。 超人のスピードからブレーキをかけた摩擦でホコリがワッと舞い、視界を一時ふさがれたが、目の前のそれが何なのかはすぐにわかった。

「な…なんなの、この――」

しかし素直に信じられず、震える声はアクマたちをいっそう奮い立たせたらしい。





「――この、アクマの数…!?」





目の前には、ざっと五十ほどの アクマの大群があった。


生か死か、血か涙か


「げへへへへ、驚いただろ!」
「これくらいいて当然じゃ〜ん!この城には、もともといーっぱいヒトが仕えてたのよー!?」
「全員が アクマになったんだから、もーアクマの巣窟だねー」

アクマはさも愉快そうに笑っているが、にとっては冗談じゃない。まして 自分は毒で弱ったエクソシスト。こんなのを一人で相手していたら、負けるどころか死体一片も残らないだろう。

―――ど、 どうすればいいの…?

こんな時、自分がもっと強かったら――一瞬にしてコイツらを片付けることができたら、どれだけいいだろう?
でも今、強いのはの持つこのイノセンスだけ。その使い手はどうだろう?クリーグルに言われたとおり最弱の小娘だ。

―――リ ナリーだって同じ年なのに…やっぱダメなエクソシストはいつまでもダメなのよね。

なのに、頑張って努力して勝とうとして。結局、 いつも助けてもらってばかりじゃない。エクソシストのリーダーという仲間を救うべき位置に立っているのに。

名前だけ。


名前と偉そうな肩書きだけが、一人歩きしてる。


「クリーグルさまから許可下りたからね!殺そう殺そう♪」
「どれから殺す? イキのいいのから?」
「死にかけは逃げないからね、女から殺そう!」


―――なんてバカなんだろう、わたしって。どうせ何も できないんなら、初めから何もしなければいいのに。


「エクソシスト殺すなんて初めてだぁ!」
「私、ずっと夢だったのよねー」
「ヨーシ、そうと決まったら早く殺っちゃえ!」





―――何の役にも立てないのなら、このまま殺されてしまえばいい。





は目を閉じた。アクマが殺気を振りまきながら、刃を振り下ろそうとしているのがわかる。どうせ助からないし、 戦ったところでどうせ毒に苦しみながら死んでいく。なら、一気に首を落としてもらった方がいい。


来る。すべてが、終わる―――















 界 蟲 一 幻 ! ! 















物凄い爆音と、何かが大量に焼け焦げるような音がした。

!!」

カンダだ。 なんだかその声を聞くなり、体の中に暖かいものがドッと押し寄せてきて。足の力が抜けて、大きく体がよろめいた。
その体を温もりのある 何かがしっかりと受け止めてくれて、頭上から、また彼の声が降ってくる。

!大丈夫か!?」
「神…田くん……?なんで、」
「俺にはアクマの毒は効かねェ」

それより、とそこで言葉を切って、神田はそっとの口元を拭った。血が彼の指につく。 そういえば、体が重くて苦しい――毒が回ったんだ。

「気絶した…おかげで、毒入りの食事とらなかったから――大丈夫だと思ったのに なぁ……やっぱ、体弱いの…禍したかな――」
「ウソだろ…」
「なんか眠い――瞼が重いよ、神田くん…」

ゲホゲホ、と大きく 急き込んで、その途端口から鮮血があふれ出して、それからすべての思考が止まった。


!!!」


神田の叫び も、頬にぽたりと零れた彼の涙も、何もかもがわからなくなった。ただ、まだ心臓の動く音が無意識に聞こえていて、それも段々小さくなりゆき、 死へと追いやられる感覚を、何の意識もなしにずっと感じていた。

ドクン、ドクン、トクン、トク、トク――



これが生なのか死なのか、頬についたのが血なのか涙なのか、それすらわからなくなって。

「ウソだろ…なんで――」

神田の珍しく弱々しい呟きも、誰の耳にも入らないまま空気の中へと溶けて、あっという間に消え入ってしまった。


「カンダさん?どうしたの、お部屋にいらっしゃらなかったから――」


ふと、背後から影が差した。の亡骸を抱きかかえた まま、神田はその場にズルズルとしゃがみこみ、そしてゆっくりと背後を振り返り、セシリー・クロフォードを憎悪の目で睨みつけた。











(それが彼女の死だった)