「テメェが命令したのか」
「そうよ。だってこんな女の血に 濡れるのはイヤだったんだもの。だから彼に頼んだの。あなたに毒を盛れとまで言ったつもりはないけどね」

セシリーはしらっと 言葉を返し、冷たい色をした目でとラビを見つめた。口の周りは血まみれで、顔は涙でグチャグチャだ。

「役立たずって、 辛いわよね」
は役立たずじゃねェ」
「ほんとに?じゃあ、彼女はどうしてこんなにあっけなく死ぬの?」

セシリーが 冷たく嘲笑うと、神田はギリギリと奥歯を噛みしめ、睨みをいっそうきつくした。

「ねぇ、神田。私と一緒にここで暮らしましょう? クリーグルに飽きちゃった。あんなただのおじさん、私には手を出せないわ」

セシリーは神田へ歩み寄り、神田の腕からそっとを 抱き除けた。それからゆっくり神田の方に顔を向け、にこりと笑って見せる。

…せろ

神田はセシリー を見上げ、ボソリと小さく呟いた。でもそれがよく聞き取れなくて、セシリーはキョトンと首をかしげる。

「え?」
「失せろと言った」

今度こそハッキリと言い放ち、神田は六幻を抜いた。セシリーの表情にピシリとひびが入る。

「――わかった。どうあっても この私に逆らう気ね」

グニャリとセシリーの姿が歪んだ。来るか――神田はザッと構えた。結い忘れた黒髪がサワリと風になびく。空気が 淀んでいく――禍々しい空気が体を包んだ。

「殺してやる…どうせお前もただの人間。年を取り美を脱ぎ捨てる穢れた生き物!人を殺し、 裏切るような、世界で最も穢れし生物!一人消えたって誰も悲しまないわ!」

「悪いが俺はあんたに殺される気なんかねェからな」

憎々しげに唸り、そして、神田は力強く跳んだ。バリバリ、セシリーは人間の皮を脱ぎ捨て、醜い兵器へと姿を変える――。

「界蟲一幻!」

神田がなぎ払うように刀を 振るうと、蟲がブワッとあふれ出してセシリーの方へ向かった。レイチェルの皮を脱ぎ捨てて、黒髪の化け物へと姿を変えたセシリーは、紙一重 でそれを避ける。それから高く舞い上がり、シャンデリアを天井から蹴り落とした。

「チッ」

神田は舌打ちしながらそれを刀で 叩きつけ、シャンデリアはガシャーンとけたたましい音を立てて大破した。神田は一旦地面に着地するとすぐに態勢を変え、飛び散ったガラスの 破片をアクマに向かって器用に打った。

「くっ…小賢しいわね!」

アクマは手でガラスの破片を振り払い、イライラ気味に声を あげた。ふと気付けば、いつの間にか神田が上から刀を振り上げている。

(速い…!!)

それはあまりにも速くて避けられず、 六幻の刃はアクマの肩に深い切り傷を刻み付けた。

「ギャアアァァァァアアッ!!」

痛みに耐え切れずのた打ち回るアクマ。 神田は急いでラビとを抱きかかえ、アクマに踏みつけられないようにと遠くへと跳んだ。突如、脇の扉から一匹のアクマが飛び出してきた。

いつの間にこんなところへ潜んでいたのか――神田は問答無用で六幻を振るい、そいつをあっという間に破壊した。

「待てェ! 逃がさないわよ!殺してやる!」
「チッ…待てといわれて待つ馬鹿がどこにいる」

神田はさらにスピードを上げ、適当に角を曲がり 階段を飛ぶように駆け上がった。アクマが奇声を上げながら追いかけてくる。とりあえず、この二人を先頭から遠ざけなければ――。

「ラビ、起きてんのか?」

ふと気になり、神田は肩に抱えたラビに向かって声をかけてみた。

「まぁなんとか……でもやべェさ、 死にそ――」
「……はとっとと死んだぜ」

神田が小さな声で言うと、ラビの肩がビクンと跳ねた。

「――そっか」

ラビは素っ気なく言葉を返したし、神田もどうでもいいように振舞った。けれどそれは二人なりの強がりなわけで、本当は悔しさでいっ ぱいだった。

「とりあえず吐くなよ、団服が汚れる」
「ひどー。病人に言う事じゃないさ」
「ハッ、テメェももただの 負け犬だからな。おい、死ぬ時は礼くらい言ってけよ」
生きてたらまたケンカになるさ」

ラビの言葉の後は、誰も何も 言わなかった。ただ背後から追いかけてくる爆音と叫び声だけが延々と続いていて、それが異様にムカついた。この任務さえなければ――そんな 思いが、二人の脳内で溢れかえった。

「伸で行く?」

ラビが二人の間の沈黙を破った。

「馬鹿かテメェ。死にかけの ヤツがイノセンス発動させたらマジで死期早まるぜ」

神田はつっけんどんに言葉を返し、また黙りこくって足を速めた。なんだか、こう やって逃げ回っているのがすべて無駄なような気がしてきた。何故だ?神田は眉を吊り上げ、自分自身に問いかけた。


―――あいつ を失ったのが、そんなにもショックだったのか?


神田の左肩には、もう二度と動かなくなったの遺体が担がれていて、それ は走るたびに乱暴に揺さぶられていた。もう顔を引っ叩いても目覚めない。からかってもケンカにならない。偉ぶったセリフも、アホみたいな 笑顔もみんなみんな失ってしまった。


―――ラビも、死ぬのか。


呼吸がどんどん聞こえなくなっていく。こちらも危な い。また自分だけ生き残り、またアクマを壊していくのか――あの人にまた会う日まで。

もう、それすらどうでもいい。

この世が消滅してしまえば――そう考えたとき、自然と自分の足が止まった。それとほぼ同時に、背後の壁を大袈裟に突き破ってアクマが現れる。

「殺してやる…もう逃がさない!!」

アクマの髪が不気味に伸びて、シュルッと神田の手足を絡め取った。ラビとが ビターンと音を立てて床に叩きつけられるが、二人とも微動だにしなかった。

「死ねエクソシスト!!」

叫び声と共にアクマの 髪の毛が触手のように伸びてきて、神田の腹をドッと貫いた。痛ェ――血があふれ出すのが分かる。

六幻が手を離れてガシャンと床に落 ちたとき、神田の体は地面に叩きつけられた。

「畜生……クソォ――」

逃げ出してしまいたいのに、何故だ?少しずつ、ほんの 少しずつ、ジワジワと傷口が癒えていく。涙で歪む視界のど真ん中に、うつ伏せに倒れこんだ赤毛の女の死体が映った。

「さっきまで、 生意気そうな口叩いてたじゃねェかよ…」

どうして。なぜ。

「ゲホッ――起きろよ、クソ…まだ戦争は終わってねェんだよ!」

急き込むと同時に血があふれ出してきて、それでも死が近づいてくることはなく。ただ目の前で死んでいる彼女が恐ろしく見えた。

「経典訳すとか、科学班手伝うとか――いろいろやることあんだろーがよ!目ェ覚ませよ!!」

窓の格子の影がちょうどよく重なっ て、の体の上に黒い影の十字架を作った。光が、姿を消してその死を悲しんでいるかのように。光使いの魔女は、こうもあっけなく死んで しまうのか。

「もう死ぬのかよ…テメェはいつも気が早ェんだよ――諦めんのが早過ぎんだよ……」

神田はの方へ伸ばし かけた手をギュッと握り、涙があふれ出す目をギュッと閉じた。俯き、大理石の床にボタボタと涙が零れる。俺は今、泣いている?こいつが死ん だのが、哀しいのか?



あれ、神田君はまだだったね…三週間前入団した、ちゃ ん――君の仲間だ

よ。えっと、その…よろしく

残念だが、任務遂行のためなら俺はお前を見捨てるぜ


お言葉ですけど!わたし、こう見えてもジャニス・クレイマー元帥の弟子なんですからね!そう簡単に死にやしません!



「何が簡単には死なないだ――こんな初っ端で、さっさと死んでんじゃねェかよ…!」

握った手で弱々しく床を叩く。ヒタ、という音が 情けなく耳に届き、さらに虚しく感じさせた。


「会ってまだ数ヶ月じゃねェか――お前はもう負けるのかよォ!!」


ドン、今度は強く地面をたたきつけた。その直後、神田はハッと微かに息をのんで目を見開いた――目の錯覚か?いや、今確かに、指が…の 指が動いた。


死んだら負け


心臓の音がしない。
わたしはついに死んだのか。

何が最強のイノセンスだか。聞いて呆れる。持ち主が弱虫なら、イノセンスだって最強になれるわけないじゃ ないの!
そう、どんなに最強なイノセンスでも、持ち主が弱虫で、弱虫が死んじゃったら、負けちゃうのよね。

――負ける?

イノセンスが、負ける?アクマに?――どうして、誰のせいでよ?持ち主のせい?それってつまり、エクソシストのせい?もっと細かくすると、 わたしのせいってこと?


心臓の音がしない。
わたしは死んでしまうのかな。


子供のときから、誰よりも成長が遅か った。何をしたってビリだった。できるのは、勉強してしまくって、いい成績をとることだけ。だけどある日、そう、わたしのせいで、父も母も 兄もわたしも離れ離れになってしまった。

母に誓ったじゃない、ママの分まで生きてみせるってさぁ。
兄に誓ったじゃない、生きて 帰りを待ってるってさぁ。


心臓の音が聞こえない。
わたしは無意味に死んでいくのかな。


アレンとトマは、無事に 本部に帰還できたかなぁ、イノセンス、大丈夫かなぁ。
科学班、長いことほったらかしだけど、みんなちゃんと仕事できてるかなぁ。
ラ ビ、大丈夫かなぁ。神田くん、彼を見捨てたりしないよねぇ?


心臓の音が聞こえない。
その代わりに、イノセンスが脈打った気 がした。


「死んだら――負け…」

ポソリ、とその言葉を復唱する。その途端『無』の景色がフッと掻き消え、変わりに体中 の痺れと冷たい大理石の感触が戻ってきた。そうだ、自分は任務中で――死んでなんかいられない。まだ、死ねない。

「 誰 が ―― 死 ぬ も の か … 」

ズル、とそんな音がふさわしい。手を突き、うつ伏せの状態からゆっくりと這う ようにしながら体を起こす。誰が?

「おま………!?」

神田は目を丸くして、を見つめた。口から垂れる赤い 血を乱暴に拭い、恍輝の鞘を杖代わりに床に突き。

「貴様…死んだはずじゃ――」
「死ぬもんですかっ」

アクマの声を遮り 、は声を張り上げた。白目の中で黒い色がジワジワと広がり始め、風もない中赤毛がザワッとなびきだす。そんなの持つ恍輝か ら、黄金の光がキラキラとあふれ出した。

白目まで真っ黒な目でキッと前を睨みつけ、そして恍輝を地面にグサリとつきたてた。と、そ こから上へ向かって黄金の風が吹き上がり、の髪を上へとなびかせた。



「目覚めよ、神剣!神の呪いよ!!」



黒い黒曜石のイノセンスが、カッとこれまでにない強い光を放った。




 イ ノ セ ン ス   第 二 開 放 ! ! 









(ガンバレ!)