辺り一面火の海だ。真っ赤な炎がごうごうと空へ伸び、賑やかであったはずの街を黒い瓦礫の山へと変貌させていく。空は不気味な色をしていた。
巨大な炎に照らされているように、真っ赤な空だった。 炎の中心には、骸骨のような奇妙な物体が立っている。その足元には、長い赤毛の 女性が、目も当てられぬほどに変形し、さらに腹を貫かれて死んでいる。彼女の子供たちは、炎の外でじっと立ち尽くしていた。 は 彼らを炎をはさんだ反対側からじっと見つめていた。いつから見つめていたのかわからない。気づいたら彼らに目を注いでいた。は彼らを 知っている。 少年がかがみこみ、少女と視線を合わせようと彼女の顔を覗き込んだ。彼の唇がわずかに動いて何かを告げる。しかし、炎の 音でその声は響かない。しかし、は彼がなんと言ったのかを知っている。 「………だめ」 思わず声が出た。けれ ども、その声は決して彼らに届くことはない。少年が大泣きする少女の手を握る。それを見たは、ゾクッと体中に悪寒が走ったのを感じた。 ―――その手を放してはだめ……! の声は届かない。 少年が地面から何かを取り上げる。よく見え ないが、鎌のようなものだった。妙にその輪郭がぼやけているような気がする。 少年が、少女の手を放す。 そして彼は炎の中へと 突撃していく。 ―――だめ!だめ!追いかけて!彼を追いかけて! は泣き声をあげ続ける少女に向かって叫んだ。 変わらず声は届かない。少女は泣き叫び続けている。には、彼女が何と叫んでいるのかが、そして彼女の気持ちまでもが、手に取るように わかった。 それでも、一番強烈にを惑わせているのは、少年が最後に発したあの言葉。 ―――絶対、戻 るよ 始動 「………ッ!!」 布団を撥ね退け、はそこで目を覚ました。視界に飛び込んでくる見慣れた自室――同時に、奇妙な安心 感が取り戻される。それでもまだの息は、たった今何百キロも走ってきたかのように弾んでいた。 「夢、か」 ホッと安堵 の息をつきながら、燃えるように赤い前髪を掻きあげる。額が微かに汗ばんでいた。 はベッド脇の小机に手を伸ばし、金色の懐中 時計を取り上げた。時刻は午前11時――もう昼になる。ちょっと寝すぎちゃったかな……少しばかり後悔しながら、はベッドから降りた。 +++ もう三百年近く他国との関わりを拒んできた列島『日本』―― その果ての小さな島もまた、海より外のすべてを拒んできた。 大半をアクマに埋め尽くされた本州とは違い、その小さな島は比較的平和。その島の人々は、本州から流れてくる悪しき噂から身を守るた め、一つの神を創り、何百年もの間ずっと崇め続けていた。 彼らには、風習があった。村に神のご加護があるように、定期的に捧げものを するのだ。 若い人間の娘を、生け贄として、その命を捧げるのだった。 「……また俺らか」 任務を 共にするメンバーの顔を見回し、神田ユウが一言そういった。呼び出され、今まさに水路から発とうとしているのは、・、アレン ・ウォーカー、神田ユウの三人だ。 「なんで!?わたし入団してからずっと神田くんとばっか!!なんでなの!?」 「なんでって……呪 い?」 「テメェ――調子乗ってっとぶった斬るぞモヤシ」 殺気ギラギラ漂う中で、はグスグスしながら小舟に乗り込んだ。ち ゃぷんと小さな音がして舟が揺れる。全員が舟に乗り込むと、探索員がげんなりしながら静かに漕ぎ始めた。 「さて、今回の任務の内 容は把握しておいででしょうか?」 舟を漕ぎながら探索員がそう持ちかけた。 「もちろんバッチリですよ!どっかの馬鹿とは違います 。離れ島の生け贄制度でしょう?何かよくわからない宗教の」 とアレン。 「俺の方がしっかり把握してるぜ。似非優等生とは違う。問題はそ の『生け贄』が何者かに連れ去られるってとこだ」 と神田。 「生け贄が届けられなくなり、島には数々の奇怪事件が発生。全身の血を抜 かれた死体が多数発見されるようになった――人々の祀る『神』とやらにイノセンス又はアクマの可能性ありってとこかな。もしくはただの悪質連 続殺人事件」 二人を無視して淡々と語る。神田とアレンは思わず押し黙り、じっとを見つめた。注目されていることに気 付いたは一旦口を閉ざし、ふぅと溜め息をついてから一言――。 「どこぞやのアホっ子二人組とは違いますから」 ボンッ と音を立てて神田が爆発し、探索員が笑いを堪えきれずにブッと噴き出した。 「なんやえらい五月蝿いなぁ……何の騒ぎ?」 「また例の殺しです奥様――まったく、いつになったら収まることやら。生け贄攫いさえひっ捕らえれば……」 奥の部屋で聞こえてくる会 話をボーっと聞き流し、薪を割り続ける。指先が真っ赤になってきたが、仕事をやめることは絶対にできない。そうすれば『奥様』の拳が空を切っ て飛んでくるに違いないからだ。 「次の生け贄誰やろ……そろそろうちの子の番やなぁ……」 ―――自分の娘が村人に殺されよう と、大した問題だと思わない。 「なぁなぁ、それより、連れ去られた生け贄ってどこ行くんやろなぁ?ちょっと気になるなぁ」 ―――彼女の口を突いて出るのは、馬鹿みたいな好奇心ばかり。 「せや、それで思い出したわ!そろそろ莉々亜家に上げてやらな、またご 近所にあーだこーだ言われるわ!」 ―――自分の評判ばっかり気にしてる、腐った女が私の母親だ。 莉々亜は薪を割る手を休め、 そっと両手をこすり合わせた。もう既に日は落ちている。着物の裾が庭の泥で黒くなっている。裸足は庭の小石でボロボロに擦り切れ、あちこち血 が滲み出しているが、誰もそんなこと気に留めてはくれない。 「そろそろやなぁ、あたしの番……」 空を見上げて、一言 そうこぼす。汚らしい灰色の雨雲が、紫色の空から、ポツリポツリと雨粒を落とし始めた。木々が風に揺れ、ザワザワと不気味な音を立てる。なん て気味が悪い世界なんだろう。こんなところにいたくない。 「死でもなんでもええ……早くあたしを解放してよ……」 莉々亜は顔 をうずめ、ポソリと弱々しく呟いた。その細々した声は誰の耳に届くことなく、風の中に消え入った。 |