『帰らずの森』の正体とは、どうやらこれの事だったようだ――森の中でアクマに襲われてしまっては、 生きて帰れるはずはない。ましてや、後ろから斬りかかってこられたら、たいていの人間は抵抗する前に死んでしまうだろう。

神田は、新たな気配を背後で感じ取った。カサカサと草を揺らしながら、何かが近づいてくる。 が素早く立ち上がり、神田のところへ駆け寄ってきた。そして、背中の鞘から剣を抜き、それらしく構える――先程よりは、 結構強そうに見えるじゃないか。

「誰だ!?」
「こっ、殺さないで下さい!」

神田が吠えると、おどおどした、太い声が答えてきた。続いて、木々の中からひょっこりと大男が姿を現した。 燃えるような赤毛、牛でも絞め殺せそうな太い腕、その体は二メートル程にも及ぶ。 しかし、太い両腕を高々と掲げ、逃げ腰になっている姿が、弱々しく感じさせた。 も神田も唖然としながら、そいつの顔を見上げた。

「お前、ファインダーの人間か?」

神田は、その男がファインダーの白い団服を身にまとっている事に気付いた。

「は、はい、ゴズといいます。その長い黒髪に日本刀・・・・・・エクソシストの神田さんですよね?それから、貴女は・・・?」
「三週間前に入団したよ・・・。ここに来た理由はー、そのー・・・―――」
「助けに来てくれたんですよね。ありがとうございます」

ゴズと名乗った男は、神田と、未だ怯えたままのに向かって深々と頭を下げた。

「仲間が二人殺されて・・・それからずっと逃げ回っていました」
「ちっ・・・・一体、何があった?」

情けないヤツだな、と神田は舌打ちしながら訊ねた。

「この一本道を進んでいたとき、さっきの男に襲われたんです――ほんと、 一瞬の出来事でした。俺たちファインダーでは敵わなかった・・・」

見掛け倒しのウドの大木か――・・・神田は思った。 まあ、相手がアクマであれば仕方がないだろう。イノセンスのない人間なんかに太刀打ちできない。

「命からがら逃げたけど、俺、情けないです・・・。目の前で仲間が殺されたのに、一人で逃げた挙句に道に迷ってしまうなんて」
「シーッ・・・・・」

が、ゴズの言葉を遮った。細い人差し指は、の口の前に当てられている。 もう一方の手が、ゆっくりと静かにイノセンスに伸びたのを、二人とも見逃すはずがなかった。

「どうやら新手が来たようね・・・」

は静かに呟いてから、剣の持ち手をギュッと握り締めた。 そして、突然スイッチが入ったようだった――今までのどんくさそうな空気はどこへやら、素早く剣を抜いて構え、 鋭い視線で前方を睨みつけた。

それを合図としていたかのように、三人の周りをグルリと取り囲む形で、 四人の男が飛び出してきた。手には、それぞれ鉈や斧・・・随分とうまいこと気配を隠していたものだ。 これに、自分より早くに気付いたに、神田は驚きを隠せないでいた。

「なんだ、おまえら」

どんよりした表情で、距離を縮めてくる男たち。神田が六幻を構えて低い声で唸ると、返事の代わりに、男が切りかかってきた。


ザシュッ・・・――


男の首が、血を吹き出しながら跳ね飛んだ。ビチビチと返り血が神田の端整な顔を汚していく。 振り向きざま、背後から斬りかかろうとしていた男の斧を六幻の刃で受け止める。 ・・・かと思いきや、男が真っ二つに切り裂かれ、その後ろから血だらけのの姿が現れた。

「ひいっ!」

ゴズは血が飛ぶたびに悲鳴を上げた。いちいちうるさい奴だ。

はその場で地面を蹴って軽く飛び上がった。そして、体をクルッと回してスピンし、見事な跳びまわし蹴りを決めて見せた。 蹴飛ばされてよろめいた男に向かって神田は斬りかかる。男は悲鳴を上げながら真っ二つになり、爆発した。

「「残り一体!!」」

と神田の声が綺麗に重なった。


アクマの来襲


「た、助けてくださーい!」

情けない声に二人が振り向くと、鉈を首に巻きつけられて、身動きの取れないゴズが目に入った。 鉈を構えているのは、血走った目の男――こいつもアクマだろうか。

「動クナ!コイツヲ殺スゾ!!」

ぎこちない声・・・やはりアクマだ。男の蒼い目はギラギラと光り、殺気立っている。ゴズがすがりつくような目で神田を見てきた。

「好きにしろ」

神田は冷たい声で言い放った。すぐ隣で、ギン、と剣の動く音がした。 ゴズや男の口はぽかんと間抜けに開いているが、おそらくは神田がどうしようとしているのかを悟ったのだろう。

――任務遂行の邪魔だと判断したら、俺が仲間を見捨てる覚悟があるという事を覚えているのだ。

「え?」
「―――好きにしろと言ったんだ」

神田は冷たく繰り返した。ゴズが信じられないという表情をしている。 その時、神田のすぐ隣りから、スッと細い腕が伸びてきた。

人差し指を立て、その先はゴズへ向いている。 一体何をする気だ?神田がの方を見やって、ギョッとした。の緑色の瞳は、今や白目まで真っ黒に染まっているし、 風もないのに赤茶色の髪が後ろへなびいていたのだ。



「・・・・・・・・・・・・離れろ、」



人差し指の先から、小さな金色の光の球が飛び出した。それは素早くゴズとアクマの間に入り込み、 その直後、破裂したかのように光がパンと音を立てて広がった。ゴズはその光に突き飛ばされるような形で放り出され、 アクマはその反対側へと尻餅をつく。一体、今何が起きたのかとても理解しがたかったが、 今はそんなことを気にしている余裕はなかった。

「っ、きゃあ!!」

アクマは、倒れながらにも精一杯反抗してきた。 手を振り回して、地面の泥が飛び上がる。それがの目を直撃し、激痛に耐え切れずは目を押さえて座り込んでしまった。

「う、うわあっ!!」

ゴズは勢い余って、こちらへ倒れこんできた。 神田は見事にその下敷きになってしまい、視界がその巨体で全部遮られてしまった。 しかも、その体は自分よりふた回りも大きくて重いので、なかなか態勢を直せない。

「馬鹿、どけ!」
「す、すいません!」

ゴズは慌てふためいてジタバタし、やっとのことで立ち上がった頃には男の姿は見当たらなかった。 形勢逆転で不利だと見て逃げ出したのだろう。

「ちっ・・・・・・・・・」
「すいません、ほんとすいません!」

神田が不機嫌そうに舌打ちすると、ゴズは大きな図体を縮めて謝って来たが、神田は目も向けなかった。

――逃がしたか・・・村へ行ったかもしれない。

ふと、神田の目が、地面にうずくまるに向いた。 呻きながら、目を押さえている。

「目をやられたのか?」
「泥をかけられたの・・・虫入り。・・・・・・・最低」
「こするな。飲み水か何かで洗い流せ」

弱々しく悪態をつくに、神田はそう言い放つと、今度はゴズに向かって口を開いた。

「行くぞ!あそこのニンジン女を連れて来い」
「えっ、はい!」

ゴズは慌てて頷いてに駆け寄り、 その小さな体を背中に背負って神田の後を追った。



***



もう邪魔者は現れなかった。三人は谷にかかる石橋を超えて、やっとのことで村の入り口にたどり着いた。 そこから見る限り、村全体が荒れ果てていて、申し訳程度に立てられた小さな看板も朽ちかけている。

「うわあ、なんだかおどろおどろしい村ですねえ。さすが『魔女の村』って言われるだけありますね。 これは確かに何が起こってもおかしくないですよ」
「魔女は悪者じゃないわ・・・」

はボソリと文句を言った。少し赤くなってはいるものの、目の方はどうやら無事だったようだ。 しかし、やはり村の雰囲気が怖いらしく、神田の袖にぶら下がるようにしがみついている。 一方のゴズも、その巨体を隠そうと、なんとか神田の背後に押し込めようとしているらしい。

山のふもとにあったミッテルバルトとは、大違いの様子だった。あちらこちらに好き勝手に雑草が生え、 ぽつりぽつりと立っている古い建物には、人の気配どころか生き物の気配すら感じられない。

「資料には『家畜を飼っている家が多い』って書いてあったけど・・・まさかこの村の住民って幽霊じゃないわよね?」
「人どころか動物の声もしませんよ」

二人とも同じ事を考えていたらしい。

「もしかして、村人全員消されていたりして・・・・・・」
「どういう意味だ?」
「いや、ほら、この村って魔女伝説があるじゃないですか。だから・・・・・・」
「くだらん。とにかく確かめるぞ」

ゴズの呟いた言葉に、神田が鋭く尋ねると、ゴズは怯えた表情でボソボソと言ってきた。はまた魔女をけなされたことに不満だったのか、 それともただ単に風景が怖かったのか、くしゃっと表情をゆがめた。赤毛からポタッと先程の返り血が垂れた。



「あ、さんに神田さん、返り血を拭いた方がいいですよ。そんな顔だと村人たちが怖がります」

ゴズが、いそいそとハンカチを差し出してきた。は今初めて自分が血だらけだと気付いたようで、 気味悪そうに団服の袖で顔をこすった。しかし、それは団服の袖で血が伸ばされて、頬がうっすらと赤く染まっただけの結果に終わった。

「それに、いくら体の内部に入らなければ大丈夫だとはいえ、ずっと付着していると アクマのウィルスに感染してしまう可能性がありますよ」
「そんなもの、いらん」

でかいくせに、妙に細かいことに気が回る奴だな。神田は拳で乱暴に返り血を拭った。ちょうど、空からポツリと雨が落ちてきた。

「どうせ、雨で落ちる」









(血だらけの神田様の挿絵がかっこよかったです)