ドアノブを捻り、ゆっくり押し開けると、ソフィアが台所から飛び出してきた。

「どうしたんですか!?起きたら父も皆様もいないから、心配してたんですよ!」
「ソフィア、話がある」

口を開こうとしたゴズを押しのけ、神田はゆっくり口を開いた。 じっと、ソフィアの蒼い瞳を見つめる。一点の曇りもない、澄んだ瞳。

「まず一つ目だ―――あの小屋は何だ?」
「小屋?」
「村のはずれにある小屋だ」
「ああ・・・・・・『魔女の小屋』ですね」

ソフィアの声が、少し冷ややかに感じた。

「あそこにこいつが監禁されていたんだ」
「なんですって!?そんな・・・・・・監禁なんて!一体誰が!?」
「『魔女の小屋』―――、いや、『魔女』とは一体何だ?」

ソフィアの顔に、悲痛の色が浮かんだ。重そうな口を、ゆっくりと開く。

「あの小屋にはつい最近まで、一人の老婆が住んでいたんです」
「それが魔女ですか!?」

ゴズが急き込むと、ソフィアは静かに首を横に振った。

「いえ。よそから来て、いつの間にか住み着いた無口な老婆でした。ご存知の通り、ここには魔女伝説が残っています。 迷い込んだ子供を喰らっていた魔女が棲んでいたと。もちろん本物の魔女なんているわけありませんけど、これまで村では、 そういう変わり者の身寄りのない女が『魔女』としての役割を与えられてきました」

「役割?」

神田が聞き返した。


「ええ。最低限の衣食住を与えられる代わりに、村人たちに忌み嫌われる存在にならなければならない。 それが『魔女』です。『魔女』は悪い者、だからそいつが村の全ての災厄を引き受けてくれる。 事実、歴代の『魔女』がいる時は、村は貧しくても平和でした」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

ゴズが絶句した。神田は、ミッテルバルトでであった老婆を思い出した。辺境にある田舎の町や村、そんな狭い世界の中では、 その中でしか通じない言い伝えやしきたりがあるものだ。

「一ヶ月ほど前、『魔女』が死んだんです。 私は町にいたから知らなかったけれど、彼女が死ぬと、村にはおかしなことが起き始めました。 飼っていた家畜が次々死んだり、子供が切り株の上に転んで大怪我をしたり、村一番頑丈な人が肺炎になったり―――」

「でもそれって、偶然なんじゃないですか?」

「ええ、そうね。でもこの村で生まれ育った迷信深い人たちは、 『魔女』がいなくなったせいだと決め付けた。彼らは自分たちの平穏な生活のため、新たな『魔女』が必要だと考えた。 そして、アンジェラに白羽の矢が立った」

「アンジェラって誰ですか?」

ゴズが尋ねると、ソフィアの目がギラリと光った。

「私の双子の妹よ。ずっと病弱で寝たきりだった。 だから私は十五歳の時から、彼女の薬代を稼ぐために町に出て働いていたの」
「ああ・・・・・・もしかして俺たちが 泊めてもらっている部屋って、アンジェラさんの部屋なんですか?」
「そうよ」
「アンジェラさんは、今どこに・・・・・・?」
「言ったでしょ!アンジェラは『魔女』に選ばれたって!」

ソフィアが狂ったように笑い声を上げた。 甲高い、乾ききった声――聞くだけで背中に悪寒が走るような笑い声だった。

「母が死んだあと、父は足を悪くして、雑貨店だというのに人の手を借りなければ品物を仕入れられなくなっていた。 ソフィアの仕送りは私の薬代に消える。だから言われるがままに私を差し出した!病気だというのに、あんな不衛生な場所に住まわされて、 たまに水を汲みに出れば子供たちに石をぶつけられ、ろくに物も食べられなくて。魔女の小屋に住み始めて、たった十日で死んだわ」

吐き捨てるように叫ぶソフィア。つまりは、病弱な父親が娘を生け贄に差し出したわけだ。 あまりにも残酷な話に、さすがのゴズも黙りこくってしまった。ソフィアは息を整えると、また口を開いた。

「町にいたソフィアはもちろん何も知らなかった。久しぶりの休みに帰ってきて、すべて知ったの。私が死んで、もう五日も経っていたわ。 私はお墓も作ってもらえず、魔女の小屋の裏庭に埋められていた―――」

―――『村八分』よりも、 ずっと悲惨な扱いを受けたという事か。

ソフィアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「今はただの針子だけど、いずれ自分のお店を持てるように頑張る。そうしたら私を都会のお医者に診せることができる。 それだけを思って一人で頑張っていてくれたのに!」

「そして千年伯爵に会ったのか」

神田は鋭く言った。ゴズが、ハッと息を呑む。ソフィア、いや、アンジェラの目が、ギラリと殺気をこめて輝いた。

「そうよ!ソフィアは私を呼んだ!そして私の魂は呼び戻され、ソフィアの中に入り、アクマになったわ!」



 わ あ あ ぁ あ ぁ あ ! ! 



突然の泣き声に、神田はギョッとして振り返った。 ゴズが涙と鼻水で顔を汚している。

「そんな・・・・・・ひどすぎる!人を何だと思ってるんだ!魔女なんて。 そんなくだらない!ソフィアさんまで犠牲になって!」
「泣いてくれるの?私たちのために。優しい人ね・・・・・・・・・」

アンジェラは冷たい目でゴズを見つめ、嘲った。

「アクマとなって・・・・・・お前は村人たちを殺したのか?」
「ええ、あいつらが一番苦しむ方法でね!」

神田が問うと、アンジェラは自慢げに笑いながら再び叫び声を上げた。

「子供たちを小屋に誘い出し、皆殺しにしてやった!死体は全部、小屋の床下に埋めたわ!」

ゴズが口を押さえて息を呑んだ。あの部屋に立ち込めていた、気分の悪くなる腐臭――あれはやはり、死体の腐敗した臭いだったのか。

「私の元に押し寄せてきた親たちは返り討ちにしてやった!愚かよね。人間がアクマに勝てるわけないじゃない。 何人かは身内に呼び戻されてアクマになったわね。馬鹿なあいつらは、村のどこかに自分の子供が監禁されてると信じていた。 だから、私の言うがままに村に近づくものたちを殺してきたのよ!」

なるほど、あの森にいたのは、アクマとなった村人たちか。

「そんなの、本当の魔女じゃないですか!それじゃ!―――」
「そうよ!千年伯爵と一緒に話したの。 ここを本当の魔女の村にしようって・・・伝説を本物にしようってね!」

アンジェラが高らかに笑った。 その笑顔は、本当に楽しんでいるようだった。ゴズは強く首を振り、残酷な現実を否定しようとした。

「なんでそんなことを!村人が憎いのはわかります!でも、子供たちは関係ないじゃないですか!」
「私に魔女であれといったのは他ならぬ村人たちよ!だから私は身も心も魔女になってやった!それの何が悪いのよ!」

ゴズも神田も黙りこくってしまった。アンジェラの目はギラギラと狂気の光を帯びている。もう、何を言っても無意味なようだった。

「最後に、もう一つ聞く―――」

神田は、ゆっくりと口を開いた。





は何処だ」





アンジェラの口の端が、ニヤリと吊り上がった。ゴズが悲鳴まじりの息を呑んだのが聞こえた。 アンジェラは高らかな笑い声を上げながら、何かを神田の足元に投げつけた。かがんで拾い上げてみる。それは、金に輝く懐中時計だった。

任務に来る途中、神田は何度もがこれを手にしているのを目撃した。 泥だらけで、あちこちに赤い血がこびり付いている―――まさか・・・。

「愚かな女よね! ろくに目もよくないくせに、暗い夜道をフラフラ歩いて――。小屋の裏庭に生き埋めにしてやったわ!」
「テメェ・・・・・・・・」
「そんな!どうしてそんな・・・・・残酷な・・・酷すぎます!」

神田は歯を食いしばり、ゴズが叫んだが、 アンジェラはさも愉快そうに笑い飛ばしただけだった。神田の耳元では、妙な耳鳴りがワンワンと五月蝿く鳴り続けている。

「ここは『魔女の棲む村』なのよ!ここに来た奴は皆、私に殺される!」

メキメキッ――――!!

枝の折れるような音がして、アンジェラの顔にすじが浮かび上がった。

「あんたたちが私の手下を倒したのね?伯爵が言っていた、 エクソシストって奴なんでしょう?ふふ、クラーヂマンか。いいわね、神の使徒!相手にとって不足はないわっ!!」

アンジェラがバッと両手を広げた。ビキビキと血管のようなものが浮かび上がり、口が三日月形に裂けてゆく。


「あああ、神田さん!」
「ああ、レベル2のアクマだ」


ようやく事態に気づいたゴズが悲鳴をあげ、 神田は唇をゆがめた。人を殺し続け、自我と未知の能力を手に入れたアクマ―――。村人達の血を吸い、さらに強化されたダークマター。

ほっそりとした体は黒いケープに包まれ、血に染まったような真っ赤な目は強烈な憎悪に輝いていた。白い肌には、 炎のような黒い模様が刻まれ、耳まで裂けた大きな口からは、爬虫類のような舌が垂れ下がっている。

細い腕が、するりと黒いケープに伸び、三日月と見まがえるような鎌を取り出した。こんな狭い部屋で、 あんな得物を振り回されてはたまらない。ここから出なくては!


「ゴズ!逃げろ!」


神田はボーっと突っ立っているゴズを突き飛ばして、扉に駆け出した。二人は転がるように扉から飛び出し、 その直後、小屋が物凄い爆音を立てて吹っ飛んだ。ふわりと宙に浮かび、鎌を一振りする。

「うわあっ!」

ゴズがやかましい悲鳴を上げながら、鎌の一撃を素早くかわした。でかい体に似合わず、俊敏な動きだ。 神田は地面を蹴りながら、驚いて目を見張った。

「おまえ、何かやっていたのか?」
「ええ、フットボールを少々!」

なるほど、この素早さがあったからこそ、森の中の襲撃から逃れられたのかもしれない。


「アンジェラ!もうやめてくれ!」


どこからか、店主の声が割り込んできた。振り返ると、店主はアンジェラの体を見上げている。

「私が悪かった・・・頼むから、もう許してくれ。もうやめてくれ・・・・・・これ以上、人が死ぬのを見たくない!」

店主はがっくりと膝をつき、アンジェラに頭を下げた。アンジェラは、鎌を手にしたまま、ゆっくりと近づいていく。 その目が、ギラリと光ったのを、二人とも見逃すはずがなかった、長い舌が唇を舐める。鎌が、高く振りあがった。



「危ない!!!!!」



ゴズが駆け寄ろうとした、まさにその瞬間だった。 鎌の先が、しっかりと店主の腹を切り裂き、真っ赤な鮮血が闇に散った。老人は血を吹き出しながら、仰向けに倒れこんだ。 ゴズは店主を急いで抱き起こすが、その体はだらりと力ない。

「あああ!しっかりしてください!!」

店主の瞼が、僅かに動いて目が開いた。紫色の唇が、力なく動いて枯れた声が夜に響く。

「すまない・・・・・・ソフィア、 アンジェラ。護ってやれなくて―――」

その言葉を最後に、店主の目が閉じられた。

「ふふ・・・・・・。 自分が起こした悲劇を見せ付けるために生かしておいてあげたけど―――もう満足したわ」

自分の父親を見て浮かべる嘲笑。冷たい目――神田は静かに六幻を引き抜き、足を踏み出した。

「カ、神田さん・・・?斬るんですか?彼女を―――」

泣きじゃくっていたゴズが、怯えた目を向けてきた。

「当たり前だ。アレはアクマだ。そして俺はエクソシストだ」
「やめてください!彼女は被害者でもあるんですよ!」
「馬鹿かお前は。信じられないほどの甘チャンだな」
「馬鹿でもいいです!俺も、これ以上人が死ぬのを見たくないんです!」

ゴズの目に、涙が浮かんだ。

「ゴズ――――。あれは人じゃない。アクマ、だ」
「あんたには、人の情ってものがないんですか!?」
「じゃあ、ここで黙って殺されてやるのか?の敵はどうするんだ? いいからファインダーは引っ込んでろ!」

ゴズは、拳を握り締めたまま俯いた。 これ以上、神田に逆らっても無意味だと判断したのだろう。神田は六幻を握りなおすと、アンジェラに向かって駆け出した。 こいつの力は未知数で、こっちには足手まといが一人・・・さっさとケリをつけるに限る。

「ふふふ!魔女の力を思い知るがいいわ!」

アンジェラはニヤリと笑って鎌を振り上げた。 神田が一気に跳び上がり、六幻を構えたその途端、アンジェラがさらに上を行った。

―――しまった。

神田の顔に影が差す。見上げれば、鎌の先が自分へ向かって振り下ろされてくる。攻撃を拒もうにも、もはや間に合わない―――


ガキィィィン!!!


赤と、黒と、そしてまばゆい黄金の光が視界に飛び込んできた。

目の前には、小さな背中。そして、そいつは黄金の光を放つ剣(つるぎ)で、鎌と組み合っている。 クセのついた赤茶色の髪の毛が、風で後ろへなびき、黒い袖に覆われた腕が、背中にかけられた鞘に伸びた。




「どうしたの?魔女の力を見せてちょうだいよ!」




鈴の音のような声が、静かに夜の空の下で響いた。 同時に、左手が鞘を引っつかんで、アンジェラの頬を強く打ちつける。 バキッと音がした後に、は神田を抱えて綺麗に地面に着地した。

「くっ・・・・・・お前・・・・!!」

「随分とやってくれたわよね。おかげで死ぬ所だったわよ―――だけど、わたしはそんなにヤワじゃありません」

は、すっと手を掲げた。あの時とまた同じように、緑色の瞳が黒く染まり、白目の中で広がっていく。 掲げられた手の平に力が入り、指が少し震えだした。一体何をする気だ?アクマ含め三人が凝視していると、なんとそこに炎が浮かんだ。

「こんどはこっちの番よ。本当の魔女の力を見せてあげる」

が地面に向かって、それを投げつけた。 炎は地面に叩きつけられると同時に、爆音を上げて爆発し、地面にどす黒い焦げを残した。アンジェラの目に驚きの色が隠せない。 しかし、次の瞬間、その口がニヤリと吊り上がった。



「なら、これでどう?」



ざわり、と空気が揺れた。







白い魔女と黒い魔女









(ほら、救済者は遅れて登場するじゃないですか)