寝室は相変わらず豪勢なゴシック風の内装で、円形の壁に沿って姿見や化粧台、クローゼットが置かれていた。中央には深紅のビロードのカーテンがかけられた、四本柱の天蓋つきベッドが一つだけ据え付けられている。トランクはすでに運び込まれ、ベッドの足元に横たえられていた。
 バフィーの一人部屋のようで、他の部屋と比べると少しばかりこじんまりとしていた(通りがかりに他の生徒の寝室を覗いてみたのだが、バフィーの部屋よりもうんと広く、当たり前かもしれないが生活感があった)。冷たい岩肌に一人で囲まれながら生活するのはさすがに寂しそうだが、都合はいい。バフィーはバッグを下ろすと、ノロノロと夕食に出かける準備にとりかかった。
 トランクから洋服の山をひっぱり出し、ベッドの上に広げてみる。その量の多さといったら、まるでフリーマーケットのような光景だった。『全寮制』というのは、クリスマスまで家に帰れないということだ。一日でも同じ組み合わせを着る羽目になってはたまらないと、ありったけの服を全部詰め込んできたのである。
 バフィーは山のように積み上がった服の中から、黒いタイトなワンピースと、淡いブルーの花柄のワンピースを取り上げた。真後ろの姿見を振り返り、まずは黒い方の服を合わせてみる。
「ハーイ!あたし超飢えてるの」
 ギラギラしすぎている。今度は花柄のワンピースを合わせてみた。
「ハロー。神の教えを学びませんか?」
 清楚すぎだ。バフィーはがっくりと肩を落とした。「前はもっとマシだったのに」

 夕食の時間の十分くらい前になって、ようやくバフィーは部屋を出た。他のみんなは一足先に向かってしまったようで、バフィーが談話室へ下りてきたころには、暖かな円形の部屋はほとんど空っぽになっていた。
 食事は朝・昼・晩大広間で行われる。昼食は持ち出し用のサンドウィッチがあるので、中庭で食べる生徒も多いが、夕食は全員大広間だ。バフィーは今日初めてホグワーツへ来たので、まだ一度も大広間に行ったことはなかったが、幸い、場所くらいなら知っている。まずはグリフィンドールの寮塔を出て、中央の塔まで戻る。そして家一軒分ほどもある広い玄関ホールを横切り、幅の広い大理石の階段を上った先だ。道順を思い浮かべてみるだけでも結構歩かされそうだ。バフィーはしつこく伸びる長い螺旋階段を急ぎ足で駆け下り、寮塔の外へ出た。夜のひんやりとした肌寒さが身を包む。ここで腕時計を覗き込み、驚いた。なんと部屋を出てここまで来るのに十分もかかってしまっている。きっと今ごろ、大広間はよだれの出そうな御馳走で埋め尽くされているんだろう。バフィーは一番高くそびえ立つ塔に向かって急いだ。

 木枯らしが足元を通り過ぎ、枯れ葉を踊らせる。その音に混じって、幽かに何か聞こえたような気がした。足音——バフィーは僅かに足を止め、目だけで背後を振り返った。少し遅れて、背後の足音も立ち止まった。
 つけられている
 バフィーは目を戻し、何事もなかったかのように再び歩き出した。足音の主もまた歩き始めた。
 塔と塔の間を抜け、直角に曲がる。怪しい足音もゆっくりと同じ道順を辿る。バフィーは次第に早足に、そして徐々に駆け足になっていった。大広間に辿り着けば振り切れる——ところが、尾行されて焦燥してしまったのか、目当ての塔に入る前に、どこかで曲がる角を間違えてしまった。もっと悪いことに、行き止まりだ。前方は壁に塞がれ、分岐もない。後ろからはあの足音が迫ってくる。バフィーは固唾を呑み、どこか隠れられる場所はないかと周囲を見渡した。右、左、そして、——…。

 十数秒ほど遅れて、そこへ誰かが現れた。すらりとした長身の男だ。突然獲物を見失ってしまったせいで戸惑ったのか、その足取りは自然と鈍くなっている。確かにここへ来たはずなのに——いかにもそんな具合にキョロキョロしながら、彼は行き止まりの壁まで進んでいく。その真上を、一本の鉄パイプが走っていることも知らずに。そしてそこに、バフィーが倒立していることも知らずに。恐る恐る、慎重に、前方の暗闇をよく見ようと目を凝らしながら…。
 バフィーはその絶妙なタイミングで隙をついた。鉄棒を回るようにぐるんと体をスイングさせ、見事不審者の背中に蹴りを決めた。すると男は無様にでんぐり返り、無様にも仰向けに倒れ込んだ。バフィーは彼が起き上がろうとしたのを遮って、その胸板を強く踏みつけた。
「何か問題でも?」
 男がゼェゼェ言った。バフィーは胸の前で拳を構え、静かに男を見下ろす。
「もちろんおありよ。なぜつけてくるの?」
「俺が怖いんだろう」男は何もかも見透かしているような言い方をする。「でも大丈夫。噛み付きゃしない」
 バフィーはまだ構えを崩せずにいたが、恐る恐る男の上からどいた。男は荒っぽく呼吸をしながら立ち上がる。尻の泥をはたき落としながら、未だに警戒している自分を見て困ったように笑ってみせた。顔つきや背格好からして、バフィーよりもうんと年上だと見て取れる。目鼻立ちがスッと整っており、少し癪だが、文句のつけようがなかった。黒いジャケットと白いワイシャツを組み合わせているだけの服装で特に変わった着こなしではないのに、彼の場合は、顔のせいか、かなりセンスが良さそうに見える。たとえばもしこれがザンダーだったら別に何とも感じなかっただろう。
「ホントはもっと、たくましい子かと思ってた——」青年は急に痛そうに首を押さえた。「——素早いけどね…」
 この口ぶりは、バフィーの『正体』を知っている。嫌な予感を察知し、心臓が警鐘を鳴らした。
「望みは何?」
「君と同じさ…」男が呻いた。また首が痛いらしい。
「オッケー!」バフィーは脱力するように構えを崩した。「私のは何?」
 男は口角をニヒルに吊り上げ、一歩分身を乗り出してきた。
「殺すこと…皆殺しだ」
 バフィーはにっこりと笑顔を浮かべた。
「ざーんねん。ハズレよ!参加賞に時計とティッシュをあげるわ。あたしはただ、ほっといてほしいの!」
 とびっきりの一瞥をくれてから、男の脇を通り抜ける。今はさっさと腹ごしらえをしたかった。しかし、その背中を引き止めるかのように、背後の青年が冷徹な声を浴びせかけた。
「そんなことが許されると思っているのか?」
 バフィーは思わず足を止めた。
「君は『地獄の口』にいるんだぜ。まもなく開こうとしてる。現実に背を向けるな」
 男はジャケットのポケットから深い青色の小箱を引っぱり出し、バフィーに投げてよこした。バフィーはそれを難なくキャッチした。僅かな重みと、やけにひんやりとした感触が手の平に収まった。
「覚悟を決めるんだ」男が続けて言う。
「何のためによ」
「『収穫の日』さ」
 その時男が口元に浮かべられた薄ら笑いは、バフィーを戦慄させた。眉をひそめ、答えが返ってこないのを承知で問う。
「誰なの!?」
「……近いところで、『友達』かな?」
 はぐらかされたのか、本気なのか、そのどちらでもないのか、真意は掴めなかった。男はバフィーの横を通り過ぎていこうとする。バフィーは急いで振り向き言い返した。
「あたし、友達なんかいらないわ!」
君の友達とは言ってない」
 青年はちょっとの間だけこちらに体を向けたが、その姿はすぐに暗闇の中に溶けてしまった。
 物陰に一人取り残されたバフィーは、暗い色の小箱をそっと開けてみた。プレゼントの中身はシンプルなデザインの十字架のネックレスだった。なめらかな表面が窓から漏れる松明の灯りを受け、銀色にキラキラ輝いている。バフィーはそれを手にとり、男の消えた暗闇に目を戻した。もう何の気配も残っていなかった。




†††




 案の定、大広間ではすでに宴が始まっていた。四つの細長いテーブルと、その向こうに置かれた教職員用のテーブルに、これでもかというほどの御馳走が所狭しと並んでいる。天井は美しい夜空を映し出し、何百というろうそくがフワフワと空中をさまよい、豪華な御馳走を照らす。バフィーは生徒たちでごった返す中を縫うようにして進み、グリフィンドール生の集まっているテーブルに近づいた。
「やぁ、バフィー。遅かったね!」
 ロンが声をかけてきた。ハリーも一緒だ。バフィーはホッとして二人に駆け寄った。
「少し迷っちゃって。でもちゃんと着いたわ」
「城は広いからね」ハリーがバフィーのためにドリンクを取り寄せながら言った。「はい。カボチャジュースもあるけど、君はこっちの方が好きそうかなと思って」
 キーンと冷えたグラスの中で、透明なソーダが絶えず泡を上げている。バフィーは礼を言って受け取った。
「んっ」
 ストローから弾ける砂糖水を一口含んだところで、テーブルの向こうにロンと似たような髪色を見つけた。しかしロンの髪よりも断然長い。あれはウィローだ。どうやら一人でいるらしい。
「どうしたの?」
「ごめん、ちょっと行ってくる」
 バフィーはソーダのグラスを掴んで席を立ち、ウィローのところへ急いだ。
「ハーイ!」
 後ろから顔を出して声をかける。バフィーが声をかけるまで、ウィローはフォークの先に絡めたパスタを淡々と口に運び続けていたが、すぐに嬉しそうに顔をほころばせた。
「バフィー!ハーイ」
「ここ、誰かと一緒?」
 バフィーはウィローの隣に回り込み、遠慮なく空いた席に腰掛けた。ウィローはフォークを置いて首を振った。
「いいえ、私一人よ。ザンダーがここに来るかと思ったんだけど…」
「ああ!あんた達、恋人?」
「いいえ!ただの友達!」ウィローはブンブンと勢い良く首を振った。「前は付き合ってたんだけど、別れたの」
「なんで?」
 バフィーは不思議がった。二人ともなかなかお似合いなのに。そういえばザンダーは見た目に反して少し軽そうなところがあったが、まさか別れた原因は——。
「彼、人形盗んだの」
 予想だにしていなかった回答にバフィーはストローを銜えたまま目を剥いた。ウィローは慌てて言い足した。
「あー、五歳の時よ」
 バフィーは「あぁ…」と納得して身を引いた。五歳の時ということは、果たしてそれは本当に恋愛感情だったのかかなり疑わしかったが、ウィローを思ってあまり追及しないことにした。
「私、そんなにデートしてないから…最近はね」
「なんで?」
 ソーダに浸けてあったチェリーをぱくっとくわえる。甘い香りが口いっぱいに広がった。
「だって、好きな子と一緒にいると…何も言えなくなっちゃうの。クールなことも、洒落たジョークもなんにも!だから大抵『あー』とか『うー』とか言って、それで逃げちゃうのよ」
「冗談でしょ?」
 バフィーは苦笑した。今までそんな奥手な子には会ったことがなかった。
「いえ、ホントよ。結局、男の子っておしゃべりできる子が好きなのよ」
「それじゃあ、ホントにデートしてないんだ」
 するとウィローは心の底から羨ましそうな目つきでバフィーに微笑みかけた。
「あなたならきっと簡単よね」
「ええ。すごく簡単…」
「だ、だって、シャイには見えないもの」
「うーん。それは、あたしの哲学が——哲学聞きたい?」
 ウィローは「ええ!もちろん!」と予想以上の食いつきを見せた。バフィーはずっと掻き回していたソーダのグラスから顔を上げ、自信満々に言い放つ。
「人生は短い!」
 ウィローは一瞬だけぽかんとし、それを不思議そうに復唱した。
「言い古されてるけど、事実だわ。だって、男の子のせいで悩んだりドキドキするなんて、時間の無駄じゃない!チャンスを掴むの。明日死ぬかもしれないのよ!」
「ええ…確かにそうね!」
 最初はきょとんとしていたウィローも、すっかり説得された。喉に引っかかっていたものが急に取れたような、スッキリした顔をした。バフィーは話題を続けようと口を開きかけたが、あるものを見つけて固まった。夜空の天井に近いバルコニーのところに、メガネをかけた上下ツイードのおじさんがフラフラしている。あれは紛れもない——ウォッチャーのジャイルズだ。
「あー…待ってて。すぐ戻る」
 バフィーは申し訳なく顔を歪め、そろそろと席を外した。
「バフィー、いいのよ。無理に戻らなくても…」
 ウィローが不安げに首を振る。バフィーは一度彼女のために足を止め、安心させるよう微笑みかけた。
「すぐ戻ってくるわ」

 グリフィンドールのテーブルに一人取り残されたウィローは、しかし、もはや寂しそうな色などどこにもなかった。鮮やかなグリーンの目をキラキラ輝かせながら、バフィーの言葉を静かに反芻する。
「……『チャンスを掴め』か…」

 ジャイルズは一人だった。手すりにゆったりと両腕を乗せ、階下に広がる光景を不機嫌そうに睨みつけている。満員の教職員テーブルや、寮ごとにわけられた四つの長テーブルが絶えることなく下品に賑わっているのが、折り目正しい彼にとってひどく許せないことなのだろう。
「へーぇ。司書もここで食べるんだ。じゃあ教員テーブルに席がないのってあたしの気のせいかなあ」
 からかうような言葉をかけると、ジャイルズは不愉快そのものの顔つきで振り向いた。
「その通り!私にしてみれば、こんな騒々しいお祭り騒ぎはできることなら避けたいよ。うちで、スープ片手に本を読んだ方が良い…」
 ジャイルズが声を荒げた。彼の前では生徒たちの楽しそうな宴も単なる騒音になるらしい。
「あなたってつまんない人ね」バフィーは素直な感想を述べた。
「ここはバンパイアの生息には恰好の場所だ!薄暗いし、混み合ってる……君には今、何が起ころうとしてるか、知ってもらわないと困る——」
「『収穫の日』のことなら知ってる。お友達に聞いたわ!」
 バフィーはジャイルズの言葉にわざと被せるようにして、皮肉っぽく言った。ところが、ジャイルズはバフィーの期待を大きく外れた反応を見せた。「…何だって?」
「『収穫の日』よ。ねえ、どういう意味?あたしにはサッパリ…」
「よく分からないが……だ、誰から聞いたんだい?」
 ジャイルズが身を乗り出した。バフィーは名前を言おうとして、困った。正体も所属も何一つ分からない。てっきりジャイルズなら誰のことだか分かるかと思ったのに。
「ある…男よ。髪が黒くて、格好いいけど嫌味な奴!あなたの友達じゃないの?」
「違う」ジャイルズは即答した。「『収穫の日』と、他には何か言ったか?」
「『地獄の口』がどうとかって。でもホンットいけ好かない奴だった!」
 思い出したらまたムカムカしてきた。バフィーはぷいっと顔を背け、手すりに腕をついて階下を眺めた。
 ジャイルズは一瞬『収穫の日』と『地獄の口』について何か考え込むようなそぶりを見せたが、バフィーの目線に気が付くと、隣に回り込んで目線をあわせてきた。
「見てごらん。彼らは自分達の身に危険が迫っていることに気がついていない」
 ちょうどスリザリンの生徒の集団が、ハリー達のいるあたりを指差してバカ笑いしながら通り過ぎていった。
「ラッキーね」バフィーが呟いた。
「君の言う通り、何も起きないかもしれない。兆候は間違いかも。君の悪夢が続いてるわけでもないしな」
 どきんと心臓が揺れた。ジャイルズの口から『悪夢』と聞いて、ほんの少しだけ思い当たることがあったのだ。




†††




 その『ラッキーな彼ら』の一部——コーディリア・チェイスと取り巻きの女の子たちは、彼女のくだらない話にさえ的確な相槌と笑い声をはさみ、夜の宴を存分に楽しんでいた。
「うちのママって寝たきりなんだけどさあ、お癒者さんに聞いたらEBウイルスが原因だって。参ったわ!慢性肝炎や慢性疲労症候群なら許せるけど、今時EBウイルスなんてカッコ悪くて!」
 女の子たちが甲高く笑った。コーディリアはそれだけで満足げだ。
「よう。コーディリア!」
 他のスリザリン寮生をかきわけ、モヤシのような細長い男の子がへらへらと近づいてきた。ジェシーだ。コーディリアはサッと笑顔を消し去り、「ゲー」と舌を出した。
「ストーカーのお出ましだわ」
「やあ、君。ステキだよ!」
 ジェシーはめげずに聞こえなかったふりを決め込み、稚拙な褒め言葉を送った。
「話せて良かったわ。バーイ!——行こう、みんな」
 コーディリアが冷たく言い捨てると、取り巻きの女の子たちを連れて席を立った。テーブルについていたスリザリン生がいっせいにドッとバカ笑いした。
「おい、マクナリー!いいシャツだな!——あぁ、ストーカー君って呼んだ方がいいかい?」
 青白い顔をしたプラチナブロンドの男の子が、この上なく嬉しそうな顔をして罵った。ジェシーは顔どころか耳の先まで真っ赤に染め、打ちのめされたような顔でその場に立ち尽くした。スリザリン生はますます笑い転げる。
「いいさ……女は一人じゃないんだ…そうとも!」
 ジェシーは自分に言い聞かせ、バカでかい嘲笑を無視してスリザリンのテーブルを離れた。



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加筆修正 2010年11月24日
例の彼登場です!
いまは「BONES」でお馴染みの彼!