脅しにも似たバフィーの警告は、ザンダーの頭にガツンと効いたようだった。二人は手分けして校庭中を飛び回り、ウィローの行方を突き止めるために、宛てもなく聞き込み調査をおっ始めた。学校の中なんだから、誰かしら目撃しているだろうとたかをくくっていた二人だったが、実際はそう上手くはいかなかった。誰に聞いても「見てない」「知らない」「だーれ、それ?」のどれかしか返ってこないのだ。
「ねえ!」何人目か分からない生徒をつかまえてバフィーが訊ねた。「ウィローを見なかった?」
「み、見てないよ」
 丸顔の男の子はギョッと目を見開いて、急いで答えた。男の子はバフィーがなぜ自分を選んで話しかけてきたのか分からないという顔をしていた。
「そう、ありがとう——ねえ、ウィローを見てない?」
 そんな調子で手当り次第に聞き込みを続けていると、突然校舎の中から慌ただしい叫び声が飛び出してきた。
ザンダー!バフィー!大変だ!!
 ハリーとロンが真っ青な顔をして走ってきた。ロンに突き飛ばされたスリザリン生が、物凄く嫌な顔をして二人を睨みつけたのを、バフィーは見逃さなかった。しかしハリーもロンも背中から聞こえた「おい気をつけろよ、ノロマ!」を見事に無視して、ザンダーの一歩手前で飛びつくように立ち止まった。
「ふ、二人とも何事?」
 ハリーとロンの剣幕にバフィーは面食らった。まるで巨大な怪物でも見てしまったような、青ざめた顔をしている。その形相を見て、バフィーとザンダーは「まさか」と視線を交わした。
「大変なんだ……ウィ、ウィローが…!」




†††




 『禁じられた森』を斜めに浅く抜けると、二人の前に広大な芝生が現れた。どこまでも続く平坦な広場に、まるでサボテンの針のようにぎっしりと立ち並んでいるものがある。十字架、聖母、天使の像——もの言わず立ち尽くす石像の数々を見て、ウィローはだんだん恐ろしくなった。
「確かに、面白いし、スリルあるけど……これほんとに近道なの?」
 男の子は構わず歩き進め、墓地のいちばん奥に構えている大きな霊廟を指差した。
「ねえ、ここ入ったことある?」
 錆ついたロートアイアンの扉を開け、ウィローを中へ誘った。蝶番がキーキーと嫌な音を立てた。
「いいえ。やめとく」
 ウィローはあっさりと断り、ふいと霊廟に背を向けた。すると男の子はゆっくりすり寄って来て、背後からウィローの長い赤毛をそっと手に取った。だが、どういうわけかちっともときめかなかった。
「いいだろう…怖くないから…」
 男の子が耳元で囁いた。ウィローは本格的に硬直した。青白いハンサムな顔が、キスでもされてしまうのではと思うほど近くにある。首筋に冷たい吐息がかかり、嫌悪感がぞっと背中を駆け上がった。死体のように冷たい指先が分厚いセーター越しにウィローの腕をするりとなで上げ——ガシッと腕を掴み、霊廟の中に突き飛ばした。
「うわっ!」
 ウィローは石段を転がるように下り、中央に据えてあった石造の棺桶に慌ててしがみついた。キッと段上を見上げると、男の子は入り口のところに佇んで、ほくそ笑みながらウィローを見下ろしていた。
「からかわないでよ…!」
 ウィローは冷たい棺にぎゅっと背中を押し付けた。男の子は悠然とした態度で石段を下り、どんどんにじり寄ってくる。何も言わずニヤニヤ見つめてくる男に、ウィローは身の危険を感じ、恐る恐る後退りした。しかし、狭い霊廟の中で、そんな抵抗はほとんど無駄に等しかった。背中に冷たい行き止まりの壁が触れ、ウィローは完全に追いつめられた。恐怖で体に力が入らない。今にも腰を抜かしてしまいそうだった。
「私、もう帰るわ!」
「そうはいくかな」
 男がせせら笑った。ウィローは男の脇をすり抜け、たった一つの出口に向かって一目散に逃げ出した——ところが、ろくに走り出しもしないうちに、扉の前に女が現れて立ちふさがった。ウィローは息を呑んで急停止した。
「精一杯やってあの程度?」
 ウィローの知らない女だった。厚化粧の顔に男が浮かべているのと同じ表情が貼りつけて、粗末なものを見るような目つきで、じろじろとウィローを品定めしている。
「新鮮だぜ」
「でも、小さすぎるわ」
 ダーラがゆっくりと石段を下りて来た。男は両手を広げて抗議した。
「自分はどうなんだよ」
 ダーラは男の顔を見上げ、勝ち誇ったようにフフンと笑った。「…当然!」
「ねえ、待ってよ…」
 霊廟の外から声が聞こえ、細長い人影がフラフラと現れた。ウィローは今度は何が来るのかしらとハラハラしていたが、高窓から漏れる月明かりに晒された顔を見て、声を上げずにはいられなくなった。
「やだ、ジェシーじゃない!?」
 縦に引き伸ばしたような顔は血の気が引いて真っ白だ。何やら首を強く押さえつけている。ジェシーはウィローの声を聞きつけるなり、糸が切れたようにフッと倒れてしまった。ウィローは慌ててジェシーを受け止め、奥の壁にもたれさせた。よく見ると、首筋に小さな穴があき、流れ出た血がテラテラと光っている。
「俺、キスマークつけられちゃったよ」
 男が呆れ果てた。ダーラは肩をすくめておどけてみせた。「お腹すいたんだもん」
「ジェシー、早くここから出よう!」
 たとえ首を噛まれてフラフラでも、見知った味方の登場でウィローは十分勇気づけられていた。少なくとも腰は抜かさなかった。ジェシーを立ち上がらせようと、持て余すほど長い腕を必死に引っぱり上げた。
「悪いけど、帰すわけにはいかないわ」
 ダーラと男が薄ら笑いを浮かべて近づいてくる。ウィローはサッと杖を抜き、ジェシーの前に立ちはだかった。
「こっち来ないで!」
「帰さないわよ。お腹いっぱい血を吸うまでは!
 ダーラの顔がメキッと軋み、瞬く間に目も当てられない恐ろしい姿に変貌した。引き攣ったようなしわに、夜行性の真っ黄色の目、鋭く長い牙を持った、醜い化け物だ。この女にいったい何が起こったのかウィローにはさっぱりだったが、これだけははっきりとわかった――人間じゃない!
あああああぁぁぁぁっ!
 ウィローは金切り声を上げ、とうとう腰を抜かしてしまった。

「あーら!いいとこじゃない!」
 霊廟に新たな声が響き渡った。ウィローは顔を上げ、ダーラも振り返った。バフィーとザンダー、ハリー、そしてロンが、狭い扉をくぐり抜けて突入して来たところだった。ハリーとロンは完全に腰が引けていたが、勇敢にも杖を抜き、恐ろしい顔をした化け物を狙っている。その中で、バフィーだけがいつも通りの調子だった。バフィーは埃っぽい霊廟の中を見渡すと、肩をすくめて石段を下りてきた。
「ちょっと殺風景ではあるけど、壁を塗ってクッションの一つも置けば…」
 バフィーは棺のふちを指でなぞり、指についた黒い煤を汚らわしそうに睨んだ。「…マイホームって感じ」
「あんた、誰なの?」
 ダーラが低い声で唸った。グルグルと身の毛もよだつようなおぞましい声が、狭い部屋中に響き渡った。
「この町にもまだ『あたし』を知らない人がいたんだ。あー、よかったホッとした。この町で秘密を持つって至難の業なの」
「バフィー、早いとこ出ようぜ!」
 月明かりに照らされた化け物の顔を見て、ザンダーが急いで言った。
「ちょっと待て!」男のバンパイアが怒鳴った。
「じゃあ言わせてもらうけど、」バフィーは顔をしかめて男のバンパイアを振り向いた。「何よ、その格好。それじゃまるで十五年前にタイムスリップって感じよ!」
 二匹のバンパイアは唸り声を上げながら、じりじりとバフィーの回りを旋回している。ロンは一丁前に杖を構えているくせに、今にも泣き出しそうだった。
「で?どうやって決着つける?」バフィーは朗らかに切り出した。「あー、どうやるって結局あれっきゃないか」
「望むところだわ!」ダーラが奮然と言った。
「ほんとに!?あたしの言う『あれ』って甘くないわよ。暴力満載十八歳未満お断りで——」
 言い終わらないうちに、背後に回り込んでいた男バンパイアがいきなり飛び出してきた。バフィーはローブのポケットに手を突っ込むと、ホグワーツから持ってきたテーブルの脚を取り出し、脇の間から容赦なく突き出した。杭は狙い違うことなく男の心臓を一突きする。ハリーとロンは危うく杖を取り落としそうになり、ザンダーは思わず目を瞑った。バンパイアはふらふらと後退りしたかと思うと、後ろ向きにバッタリと倒れ込んだ。しかし、その死体は固い石畳に叩きつけられると同時に、まるで塵のように飛び散って消えてしまった。
 ダーラは信じられないという目つきで、バンパイアの消えた床を凝視した。バフィーは勝ち気にニヤッとした。
「暴れるとどうなるかわかっちゃった?」
「彼は未熟だったのよ!」ダーラが憤慨した。
「みんな、逃げて!」
 バフィーが急かすと、みんなはようやく我に返って動き出した。ザンダーが気を失ったジェシーを抱え上げ、ハリーとロンは腰を抜かしたウィローを両側から支えて立ち上がらせた。
「そうはさせないわ!」
 ダーラがバフィーに襲いかかってきた。バフィーは持ち前の反射神経でそれをかわし、お返しに何発かお見舞いした。そしてまた懲りずに仕掛けられたパンチをなぎ払い、腹を鋭く蹴り抜いた。ダーラは痛みにウッと蹲った。バフィーは情けも容赦も見せず、無防備なその背中に力強い手刀を振り下ろした。
「こっちだ!急いで!!」
 ハリーの先導する声が急速に遠ざかっていった。みんなは無事に逃げられたようだ。どんくさく床に投げ出されたダーラを見下ろして、バフィーはやれやれと溜め息をついた。
「ったくもう、新しい町に引っ越してきて、やっと人並みに友達や犬と遊べると思ってたのに、またこれよ!」
 バフィーはダーラの体を足蹴にして、壁に手をついた。
「そんなに血が吸いたいならどっかよそで吸ってもらいたいわ」
「あんた、誰よ?」
 ダーラがうめいた。これが当たり前の反応なのに、今のバフィーには逆に白々しく聞こえた。
「知らないの?」
 ところが、ダーラから答えが返ってくることはなかった。戦況を大きく覆す新参者が突然現れたのだ。バフィーは後ろから首を掴まれ、足の裏が地面から離れたのを感じた。体が大きくのけぞって、背骨が悲鳴を上げる。
「知らねえなぁ…」
 耳元で嗄れ声がした。次の瞬間、バフィーは空中を飛んでいた。代わり映えのしない灰色の景色が物凄いスピードで通り過ぎていったかと思うと、体が霊廟の角の柱に激突して崩れ落ちた。ルークはバフィーが動けなくなったのを見届けると、矛先を変え、今度はダーラの胸倉を乱暴に掴んで引き上げた。
マスターに召し上がっていただく獲物はどうした!収穫の日が近づいているのにあんな小娘にかかずらって!
「あの女が獲物を逃がしたのよ!」ダーラが喚いた。「トマスもやられた。ルーク、油断しないで」
 ルークはゆっくりとバフィーを見据えた。軋む体を叱咤し、必死に立ち上がろうとしているところだった。鈍いダーラとは違って、バフィーの正体に心当たりがあったようだ。
「帰ってろ。この小娘は俺が何とかする」
 冷たく突き飛ばされ、ダーラは逃げるように霊廟を飛び出していった。

 バフィーは床を押し返して跳ね起きると、ルークの巨体に素早いパンチを何発か叩き込み、飛びついて前蹴りを決めた。渾身の力を込めた猛攻を受け、ルークはちょっとたたらを踏んだようだったが、依然余裕の笑みを浮かべている。バフィーはゼェゼェ言いながら拳を構え、次の動きを待った。
「やるなぁ」
 ルークがのんびり言った。棍棒のような腕が迫ってきて、バフィーは避ける間もなく殴り飛ばされた。
「こざかしい」




†††




 霊廟を命からがら逃げ出したハリーたちは、体力の限界も忘れ、ホグワーツに戻る道を必死で駆け戻った。墓地を抜けて『禁じられた森』を北東の方角に浅く横切れば、ホグワーツ城の見える校庭の端に出られる。今はとにかくバフィーを信じて一旦城に戻り、助けを呼んでくる以外方法はない。
「森を抜けたところに森番の小屋があるわ!」
 墓地の向こうに広がる木々を指差して、ウィローが叫んだ。
「急いで戻ってハグリッド森番を呼ぼう!バフィーひとりじゃ危険だよ!」
 ハリーが続けて叫んだが、五人とも森へ入ることはかなわなかった。墓石の影から、青白い顔をしたバンパイアがまた何匹も姿を現したのだ。
「おい、冗談だろ!」ロンが悲鳴を上げた。「この化け物、いったい何匹いるんだよ!!」




†††




  バフィーとルークは棺を間に挟み、じりじりと旋回し合った。ルークの口元は笑みを浮かべてさえいるが、黄色い両眼は獰猛にギラついており、目を合わせただけで震え上がってしまうほど殺気立っていた。
「手こずらせやがって」
「何よ。あたしだって暇じゃないんだから」
 バフィーは出口の石段を後ろ歩きで上りながら言い返した。ルークは悪態を返すかわりに、バフィーめがけて棺のふたを突き飛ばした。重たい石の塊を紙一重でかわすと、バフィーは棺のふちに手をつき、側転して向こう岸に渡った。振り下ろされた両足がルークの脳天を蹴り抜き、ルークは今度こそ目から火花をふいて吹っ飛んだ。腐った巨体が奥の壁にぶち当たり、ずるずると滑って石畳に崩れ落ちた。バフィーは急いで杭を拾い上げ、分厚い胸板めがけて振り下ろす——。
「やれると思っているのか?この俺たちを!」
 あとちょっとというところで、ルークはバフィーの手首を受け止め、反対の手で杭をへし折ってしまった。そして恐怖に震えるバフィーの胸倉を掴み、ぐいっと自分の方に引き寄せた。
「我々の力が分かってないようだな!」
 バフィーはまたしても空中に放り出された。棺桶の角に乗り上げてしまい、あまりの痛さに悲鳴を上げたが、続いて床に叩きつけられると、更なる激痛が全身を襲った。
「——できものが広がるように、人間が地上を埋め尽くした」
 ルークの声が近づいてくる。バフィーは遠のく意識を何とかつなぎ止め、石段に手をついて体を起こした。
「しかし、新月の三日めに訪れる『収穫の日』に、人間の血はワインのごとく流され、『帝王』は再び自由に歩き回るであろう…地上は昔の持ち主の手に返され、いつしか町は、地獄に変わるのだ……」
 醜い顔がバフィーに覆いかぶさった。バフィーは恐怖と痛みで動くことができなかった。抵抗もできないまま、ルークの巨大な手に胸倉を鷲掴みにされ、背後の棺の中に投げ飛ばされた。ドスンと鈍い音を立てて背中に激痛が走る。どす黒い色に変色したミイラがすぐ横に眠っていて、バフィーは驚いて悲鳴を上げた。
 しかし、自分の悲鳴を最後に、霊廟の中は水を打ったように静まり返った。バフィーは荒くなる息を潜めて耳を澄まし、棺桶の外の様子を窺った。ルークの気配がどこにも感じられない。いったいどこへ…?——恐る恐る体を起こした、その時——棺桶の向こうから、ルークが勢いよく飛び込んできた。バフィーはぎくりと縮み上がった。
「アーメン」
 ルークは鋭くとがった牙を剥き、バフィーの上にがばっと覆い被さった。そして、白く細い首筋めがけて——。


 



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加筆修正 2010年12月5日
この辺の話はどうも描写が難しいです。
なぜかな…。
ヒント:文才がないから